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信頼される医療を守り続ける

信頼される医療を守り続ける


病院長(どうめん・かずふみ)

1984年大分医科大学(現:大分大学)医学部卒業、九州大学医学部第一内科入局。
浜の町病院、米マウントサイナイ医科大学、千早病院副院長などを経て、2020年から現職。

 国内でも数少ない人口増加地域である福岡市東区。ここで1965年から地域を支えているのが千早病院だ。道免和文病院長は「信頼される医療」を目指し、患者だけでなく、地域医療機関との関係性も大切にしたいと語る。

現在の強みを伸ばす

 千早病院は第2次世界大戦直後の1946年、満州からの引き揚げ者に対して医療救護活動を行う「同胞援護会救療部聖福病院」として発足した。その後、1965年に福岡市東区千早へ移転して病院名を改め、50年以上にわたり地域の医療を支え続けている。

 道免氏は2007年に内科部長として千早病院に赴任し、診療部長、副院長とキャリアを重ね、2020年4月、病院長に就任した。現場で感じてきたこと、現状の強みなどを踏まえ、今後の病院像を明確に描く。

 「まずは当院の強みである消化管疾患、肝胆膵疾患、血液疾患、白内障の分野を伸ばすこと。さらに今後増加する糖尿病、循環器疾患、呼吸器疾患、骨関節疾患に備えることが重要だと考えています」

 地域医療機関との連携も不可欠だと言う。現在、千早病院には、155のクリニック・病院が関連施設として登録されており、定期的に開催する勉強会や研究会などを通して、顔の見える関係性、協力し合える環境を整えている。

 「地域包括ケア病棟で、術後のリハビリ、軽症疾患の患者さん、レスパイト入院も積極的に受け入れています。この体制を維持・強化するために、近隣のクリニックや病院だけでなく、老健施設や介護施設とのコミュケーションも重ねていきたいと思っています」

影響を受けた3人のキーパーソン

 大分県中津市の出身。高校まではボーイスカウト活動や野球に汗を流した。大分医科大学(現:大分大学医学部)を卒業後、九州大学第一内科に入局。医師としての道を歩み続けてきた。「ずっと周囲の人に恵まれてきた」と語る道免氏が特に影響を受けた人物が3人いる。

 「当時の九州大学第一内科肝臓グループの責任者だった石橋大海先生には、熱意を持って臨床指導をしていただきました。また、米国留学時代に論文の重要性などを教えていただいたマウントサイナイ医科大学のリーバー教授、私を千早病院に招いていただいた元院長の仁保喜之先生にも大変お世話になりました」

 忘れられない患者もいる。肝がん末期の80代男性で、ホスピスへ転棟する際に「最後に先生とワインを飲みながら食事をしたい」と所望され、実際に食事会を開いたという。

 研修医時代に救急車で運ばれてきた30代の女性も印象に残っている。「女性は1日で退院されたのですが、そこから約20年後、何と私を探し当てて、今後ずっと受診したいと言われたのです。結局、距離的な問題などで継続治療は困難だったものの、患者さんの思いに、大変感激しました」

同郷の偉人福沢諭吉を尊敬

 現在、道免氏は千早病院軟式野球部や、福岡市勤務医会ソフトボールチームなどのメンバー・監督として活動し、さらには福岡市勤務医内科医会の会長も務めている。「これらの活動を通して医師間の融和を促すとともに、地域の医師会や基幹病院との連携もさらに深めたいと考えています」

 最後に、同じ中津市出身の偉人であり、尊敬する福沢諭吉についてこう語った。「福沢先生は当時の制度に反対し、女性と子どもの学問を奨励する著書を残しました。当院を含め、病院は女性が多い職場です。私も女性が働きやすい環境、男女が共に勉強できる環境づくりを、これからも心掛けたいと思います」

国家公務員共済組合連合会 千早病院
福岡市東区千早2ー30ー1 ☎️092ー661ー2211(代表)
https://www.chihaya-hp.jp/

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