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何事も楽しむ姿勢で病院運営の課題に着手

何事も楽しむ姿勢で病院運営の課題に着手

福岡大学筑紫病院 柴田 陽三病院長(しばた・ようぞう)
1981年福岡大学医学部卒業、整形外科教室入局。1987年同大学院修了。
福岡大学筑紫病院整形外科教授、副病院長などを経て、2019年から現職。

 整形外科領域の中の肩関節外科で、研究と臨床を続ける柴田陽三病院長。研究論文は国際的にも高い評価を受けている。病院長となっても週2日の手術を担当し、大学病院運営、医師の働き方改革の実践などと合わせ多忙な毎日を送っている。

改革の糸口は、困難を好きになること

 医師の働き方改革、診療体制や財務の改善―。病院運営の難題と直面しているという柴田陽三病院長。医師、看護師をはじめ医療機器の手入れをするスタッフにも目を配り、声に耳を傾けている。病院長室の椅子を温める時間はない。

 座右の銘を尋ねると、論語の一説「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」を挙げた。

 「何事も楽しんでやる者には誰も勝てないということですね。困難なことを好きになって楽しんでやってきました」

小学生で医師の姿に憧れて

 福岡県久留米市生まれ。県立明善高校から現役で福岡大学医学部に進んだ。

 高校の同級生のうち、久留米大学医学部神経精神医学講座の内村直尚教授、福岡歯科大学の橋本修一病態構造学教授をはじめ、10人ほどが医師や歯科医になった。家族や親戚に、医師がいたわけではない。小学生の時、入院中の祖父を見舞った経験から、働く医師の姿を見て憧れを抱いたのがきっかけだった。

 入局した整形外科教室の初代教授は、日本肩関節学会設立者の一人、高岸直人教授。自然な流れで肩関節外科を学ぶことになった。30歳のころ、研究論文を国際肩関節学会で発表する機会を得て、その論文で医学博士号を授与された。

 大学院を終えてヨコクラ病院(みやま市)で2年間勤務。当時、隣接する大牟田市の公的病院には救急体制がなく、外傷急患はほとんどヨコクラ病院に運ばれていた。

 三井三池炭鉱があり、炭じんまみれの重傷者が搬送されることも多かった。交通事故も多く、真夜中に呼び出されることも頻繁にあった。病院裏の宿舎から病院に走って駆け付ける日々だったという。

 「仮眠は診療室の椅子にかけたまま。若かったこともあり、疲労を感じるよりも仕事にやりがいを感じていました」

肩関節外科で国際的評価

 福岡大学医学部に戻ってからは、まず、1年がかりで整形外科全般と肩関節外科の論文集を2冊にまとめ上げた。

 2代目教授時代には、肩関節外科分野の筆頭に。さらに日本肩関節学会事務局が福岡大学医学部にあったことで、事務局長として約18年間、毎年度の学会運営や発表論文のまとめなどで多忙を極めた。

 2代目教授からは、「自分が決めた分野で一流を目指しなさい」と、英語による論文発表など6項目の資格基準を課された。年に数回の個人面談もあった。

 「おかげで世界に目を向けることができました」。狭き門で知られるアメリカ整形外科学会で論文が採用されるなど、国際的にも高い評価を得て、数々の賞も受けた。

過重労働対策に早々に着手

 医師の働き方改革は、目前の重要課題だ。柴田病院長は、まず医師の過重労働改善に着手した。早速7月から土曜休診と、7室の手術室の効率運用、1人主治医制を廃止して、複数医師が多くの患者を担当する制度を実施している。

 「高度医療を提供するのが大学病院の責務です。重症の患者さんが不利益を受けないために、症状に応じて地域の開業医の先生方にお任せする病診連携を、さらに進めていくべきと考えています」

福岡大学筑紫病院
福岡県筑紫野市俗明院1-1-1 ☎092-921-1011(代表)
http://www.chikushi.fukuoka-u.ac.jp/

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