九州医事新報社 - 医療・医学の〝今〟を伝えて62年

どんなことでもいい 「今までにない」発見を

どんなことでもいい 「今までにない」発見を

   森 正樹教授(もり・まさき)

1980年九州大学医学部卒業、同第二外科入局。1986年九州大学大学院修了。
米ハーバード大学留学、九州大学生体防御医学研究所附属病院外科教授、
大阪大学大学院医学系研究科消化器外科教授などを経て、2018年から現職。


 「現在の医療が100%だと思ってはいけない。次の医療を考える、そんな人を育てるのが私たちの義務」─。2018年10月、九州大学大学院消化器・総合外科(第二外科)の第8代教授に就任。日本外科学会の理事長も務める森正樹氏のこれまでの歩み、未来に向けたまなざしに迫るべく、教授室を訪ねた。

森はサッカー部員だから

 1956年3月、森正樹教授は奄美大島で生を受ける。「教員だった父は戦争で多くの人が亡くなった時代背景もあって、若くして校長の職に就きました。漠然と将来は学校の先生になろうかなと思っていました」

 中学・高校時代を過ごしたのは名門のラ・サール学園(鹿児島市)。森少年はサッカーに熱中した。

 1学年の生徒約250人のうち、100人近くが医学部へ進学する。「私の周りにも医学部を目指す友人が多かったので受験しようと。特別な思いがあったわけではないのです」

 そういえば―。森教授はある出来事を振り返る。

 「小学4年生のとき、外で遊んでいてガラス瓶で足を負傷しました。細菌に感染して敗血症になり、一時は危険な状態だったそうです。この経験も、医師を志す一つのきっかけだったような気がします」

 1974年、九州大学医学部に入学。いくつかの出会いが、のちの「世界初の発見」につながった。

 「病理学の講義でがん細胞を顕微鏡でのぞいてみると、けっこうきれいなのです。それを眺めるのが好きで、病理を専門にするのもいいなと感じていました」

 サッカー部の練習後や活動がオフになる時期になると、病理学教室に足しげく通った。同教室の遠城寺宗知教授、恒吉正澄助教授、岩下明徳医師らからさまざまなことを教わる中で、しだいに「病理へ進もう」という気持ちが高まっていったという。

 6年生。卒業後の道を決める段になって、サッカー部の部長を務めていた第二外科の井口潔教授(第5代教授)と杉町圭蔵助教授(同6代教授)から声をかけられた。「サッカー部員なのだから、お前は外科だろうと(笑)」

 こうして第二外科の一員となった。臨床と研究に打ち込む「二足のわらじ」の日々が始まった。

「仕方ない」で済ませない

 1年目は九州大学医学部附属病院(現:九州大学病院)、2年目は国立別府病院(現:別府医療センター)で研修。みっちりと手術を教え込まれ、腕を磨いた。

 3年目に大学院へ。病理学教室で消化器がんの研究に従事するかたわら、毎週、久留米の病院で手術の修練を積み続けた。

 大学院修了が近づいた1985年、第二外科は杉町教授に代わった。「病理学教室に移るタイミングかなと思いましたが、杉町先生は私のことを忘れていなかった(笑)。早く戻りなさい、と言われまして」

 再び第二外科での診療、そして米国留学などを経て、大分県別府市の生体防御医学研究所附属病院(現:九州大学病院別府病院)に異動。同院の外科教授となった1998年になると、消化器がんの「がん幹細胞」研究が本格化した。

 がん幹細胞は、再発や転移、抗がん剤耐性を引き起こす「親玉」。細胞分裂によってがん細胞を増殖させる元凶だ。その存在が最初に証明されたのは1997年。白血病のがん幹細胞が同定された。

 森教授は考えた。「肝がんや大腸がんにもあるのではないか?」。推測は当たった。2005年、世界で初めて「肝がんのがん幹細胞」を突き止めた。

 「多くのケースで、いったんは抗がん剤で治ったように見える。けれども、実はがん幹細胞だけは生き残っていて、また新たながん細胞を生む。がんの再燃の仕組みです」。現在、新規の薬剤を用いて、親玉にダメージを与える治療法の研究を進めている。

 かねてから親交がある京都大学・山中伸弥教授の協力を得て取り組むプロジェクトもある。「iPS細胞は正常細胞に四つの遺伝子を組み込むことで作成します。がん細胞に入れたらどうなるのだろうと、試みることにしたのです」

 より悪化する。そんな予想は覆され、がん細胞はさながら「冬眠」状態になった。活動が停止し、増殖しない細胞に変化したのだ。「手術や薬剤での治療が難しい患者さんの場合は、この〝がんをおとなしくさせる〟という選択肢もあり得るでしょう。また、発がんの抑制への活用も考えられる。山中先生の協力のもと、動いているところです」

 これまで「仕方ない」で済ませていたことを、何が原因で、どうしたら解決できるのか。医局員には常に考える姿勢を養ってほしいと、森教授は強調する。

日本の外科医療の未来は

 日本外科学会の入会者はピーク時、年間で2500人ほど。現在は3分の1に減少し、ここ数年は800人程度で横ばいだ。

 「新専門医制度において外科の専攻医が1人の県があるなど、このままだと外科医療が成り立たなくなる状況です。高齢化が進んで患者さんに対するケアもこれまで以上に求められている。大変なのが当たり前でやりがいを感じていた時代は終わり、がんばれと言うだけでは立ち行かない」

 学会の理事長として、積極的に働き方改革の推進を各所に呼びかけている。少なくとも外科医の労働環境の改善は、国としても重要な課題として認識しているとの感触を持っている。

 教授就任からおよそ半年。地域医療への貢献をさらに深めていくこと。医学部生や研修医を一人前に育てること。これらを基本方針に九州大学、さらには日本の外科医療の底上げに努めたいと森教授は言う。

 「今の医療で満足していては停滞してしまう。例えば治療の効果は同等でも、従来と比較して痛みを半減できた。それも立派な医学の進歩です。どんなに小さなことでもいい。医師として、これまでになかったものを何か一つ、見つけてほしいと思います」

九州大学大学院 消化器・総合外科(第二外科)
福岡市東区馬出3-1-1 ☎092-641-1151(代表) http://www.kyudai2geka.com/

この記事を読んだ方は他にこんな記事も読んでいます

最新の記事情報が取得できます

Twitter

「いいね!」ボタンを押すと、最新情報がすぐに確認できるようになります。

Instagram

フォローする」ボタンを押すと、最新情報がすぐにツイート上で確認できるようになります。

コメントはこちらから

メニューを閉じる