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この病院でもできる!救急医療を根付かせた15年

この病院でもできる!救急医療を根付かせた15年

   坂元  健一 理事長・院長(さかもと・けんいち)

1994年産業医科大学医学部卒業、山口大学脳神経外科入局。小倉記念病院脳神経センター、
小野田市立病院、米ニューヨーク州立大学留学などを経て、2004年から現職。

  霧島に戻って15年ほどが経った。鹿児島県は全国で五指に入るほど脳卒中の死亡率が高く、医療提供体制は鹿児島市への依存傾向にある。霧島市は県で2番目の人口を有するが、地域の医師数を比較すると離島の奄美地域の健闘が目立つ。坂元健一理事長の病院づくりは、こうした構造に対する「なぜ」が出発点だ。

―現状について。

 2018年、姶良地区医師会の理事に就任しました。救急医療と災害医療の責任者として、さまざまな医療機関の協力を得て、連携体制を構築していきたいと考えています。

 神経内科を専門とする父が1978年に開院した当院(当時は坂元病院)は、内科とリハビリテーションを中心とした医療を提供していました。

 父が亡くなったのは2004年。ほどなくして、米国留学を終えて鹿児島に戻った私が病院を引き継ぐことになりました。そのときに感じたのは、この地域の医療資源が乏しいことから救急医療が十分に機能していないということです。

 予防的な医療を受ける機会も限られています。鹿児島県の脳血管疾患の死亡率が全国平均を大きく上回るのは、こうした背景とも関連しているのでしょう。

 福岡、関西、関東などの大都市圏に移る若い世代も多く、鹿児島県内の全世帯のうち、一人暮らしの高齢者が占める割合は東京に次いで全国2位(2016年国勢調査)。医師の高齢化も進行しています。

 私の専門である脳神経外科を軸とする救急医療、そして災害医療を推進し、地域で暮らす方々の「生涯の健康」を支えたい。私が理事長に就任して以降の大きな目標です。

―どのような取り組みを。

 慢性期の医療やリハビリを担ってきた病院で救急医療を始めたのですから、最初はまさに「ゼロ」でした。院内の反応も「救急車が本当に来るのですか?」。

 各地のさまざまな病院で救急医療に関わってきた中で「今ある環境で何とかする」ためのノウハウは学んできたつもりです。

 手術を受けた患者さんが回復した様子を見ると、職員たちも「この病院でもできるのですね!」と。ドクターカーを導入し、CT、МRIなどの機器をそろえ、少しずつ体制を整えていきました。現在、年間でおよそ1000台の救急車を受け入れています。

 父が力を入れていたこともあって、リハビリのスタッフは充実しています。そこで、救急医療との連携を試みました。救急患者が搬送されたらリハビリのスタッフも診療に参加します。脳出血、くも膜下出血、脳梗塞など、ケースごとの回復の予測に基づいてリハビリを計画。早期介入、早期回復の流れを確立しています。

―今後は。

 2020年内から2021年初めの新病院の開院を目指しています。

 当院はAМAT(全日本病院医療支援班)病院、鹿児島県DМAT指定病院でもあります。私自身は、鹿児島市立病院救命救急センターの一員としてドクターヘリにも搭乗。事故や災害の現場に出動しています。新病院では救急医療、災害医療をさらに強固な柱にしたいと考えています。

 医療機関に足を運ぶのは本当に必要なときだけ。医療過疎と言われる当地域などは、どんどんそこへ向かっていくと思います。

 在宅医療の支援として新たな電子カルテシステムの導入を検討しています。サイバーダイン社の技術を活用し、在宅患者さんのバイタルデータを病院でモニタリング。患者さん自身がその情報にアクセスでき、遠方にいるご家族とも共有できる仕組みです。

 当院だけで地域の課題をすべて解決できるとは思いません。霧島内外の病院とつながって最良の医療を届ける。その実現の一助になれたらと思っています。

医療法人健康会  霧島記念病院
鹿児島県霧島市国分福島1─5─19
☎ 0995―47―3100(代表)
http://kirishima-memorial.jp/


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