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「開拓者」の精神を胸に地域医療に貢献する

「開拓者」の精神を胸に地域医療に貢献する

信州大学医学部 外科学教室 消化器・移植・小児外科学分野
副島 雄二 教授(そえじま・ゆうじ)

1991年九州大学医学部卒業。
米マウント・サイナイメディカルセンター研究員、松山赤十字病院第一外科部長、
九州大学病院先端医工学診療部准教授などを経て、2019年から現職。

 日本初の脳死肝移植を手がけるなど、肝移植の分野では日本でも先駆的な存在だった信州大学医学部。近年は症例数が減っている中、肝移植のエキスパートが教授に着任した。「患者さんのことを第一に考え、常に新しく質の高い医療を提供したい」と、新天地で精力的な取り組みを進めている。

肝移植の症例復活へ

 肝移植のエキスパートだ。昨年までに682例を手がけており、新任直後からすでに月1回のペースで肝移植手術を行っている。かつて信州大学の症例数は日本でも屈指の数だったが、近年は減少傾向。2016年には生体肝移植が年間わずか3例となり、それ以降は着任前までゼロだったという。

 「原因はなかなかわかりませんが、患者さんの数自体が大きく減っているとは思えません。機会を逸した患者さんが亡くなってしまっているのか、他の施設に行ってしまったか」

 肝移植が受けられる地区別の数を自ら算出した。全国平均で100万人あたり3・3人ほどなのが、甲信越地区は最低水準の1・9人。副島雄二教授にとって肝移植は日常診療の範疇にあり、「亡くなってしまうのと、元気に人生をリセットできるのとでは、大きな違いがあります。この地域の肝移植に貢献したい」と力を込める。

難しいことにチャレンジを続けていく

 ハードルの高い物事にチャレンジするというスタンスで、自然と移植外科の分野に引き寄せられた。九州大学医学部に入学した当初から、希望していたのは外科のみ。学生時代は長期休暇となると、必ず国内外を旅行していた。海外であれば、東アフリカやアマゾン川の密林、アラスカ、グリーンランドなどに身を投じる冒険旅行を好んだ。

 こうした自身の持つフロンティアの気質と、当時日本では臨床例がなかった移植という分野がマッチした。「やるからには難しいことをやりたい。肝移植は自分の人生を懸けるだけの価値があると思いました」と、日本でも積極的に取り組んでいた九州大学第二外科(現:消化器・総合外科)に入局。その後1998年からはアメリカにある病院の移植外科で、2年余にわたって臨床の実績を重ねた。「非常に濃密で、毎日が勉強でした」と振り返る。

 帰国後ほどなく九州大学第二外科に戻り、肝移植の臨床に従事。年間30〜45例を手がけ、小児の肝移植で先天性門脈欠損症手術や、2人のドナーから1人のレシピエントに移植する「デュアル生体肝移植」などを成功に導いている。

 2017年には内視鏡の技術認定医も取得するなど、移植以外の技術も積極的に体得した。

 その根底にあるのは、常に新しく質の高い医療を提供するというスタンスだ。「肝移植も腹腔鏡も普通の外科手術も、あらゆる選択肢にアクセスできる。特に肝移植や難治がんなどに関して、地域医療の中で大学の存在は大きい。できないことはないというレベルを目指したいです」と話す。

外科医の魅力を発信する

 信州大学医学部で外科学の未来を切り開くためには、後進の育成も欠かせない。現在は外科志望の学生が減少していることに危機感を抱いており、魅力発信に注力したい考えでいる。

 「おこがましいかもしれないけど、手術で病気の患者さんを治して笑顔や感謝を日々もらえる二つとない仕事。それが外科の一番の醍醐味で、仕事のモチベーションになります」。そう語る口調には熱がこもる。

 このほか予後改善に向けた基礎研究など、着手すべき物事は多岐にわたる。長野県は大学時代に登山で何度も訪れており、愛着のある土地。「気候も良いし、非常に親しみがあります」という新天地で、地域医療への貢献に意欲を示す。

信州大学医学部 外科学教室 消化器・移植・小児外科学分野
長野県松本市旭3─1─1 ☎0263─35─4600(代表)
https://shinshu-surgery1.jp/

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