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「安心圏」を築き道北エリアにおけるトップブランドに

「安心圏」を築き道北エリアにおけるトップブランドに

医療法人社団慶友会 吉田病院
病院長(ばば・かつよし)

1985年旭川医科大学卒業。同第2内科、帯広第一病院、上川町立病院、道立紋別病院、
吉田病院副院長などを経て、2019年から現職。

 前理事長との再会により勤めることになった吉田病院。以来、地域住民とのコミュニケーションを大切にした診療を続け、今年4月、病院長に就任。「青天のへきれき」と振り返りつつ、慶友会が掲げる「健康創造」実現の道筋を熱く語った。

慶友会の中核病院で四半世紀を過ごす

 北海道北部地域の中心都市・旭川市は、大雪山を源とする石狩川を含め、大小約130もの川が大地を潤す水の豊かなまち。その清れつな流れを利用した地酒づくりが昔から盛んで、百年の歴史を持つ酒蔵が今も営業している。

 医療法人社団慶友会吉田病院は石狩川河畔にほど近い、旭川と札幌を結ぶ大動脈、国道12号線沿いにある。馬場勝義病院長は就任直後の心境を次のように語る。

 「私が最も尊敬する吉田威前理事長が1981年に開設した慶友会は、『健康創造』をテーマに保健・医療・福祉の各分野を統合し、切れ目ないケアの提供を目指しています。その中核となる吉田病院に私は1995年からお世話になっており、来年で四半世紀が経ちます。私は先頭に立って指揮するような性格ではありませんが、最後のご奉公のつもりで重責を担うことを決意しました」

握手のぬくもりは今もこの手に残る

 馬場病院長と前理事長の出会いは30年以上前。旭川医科大学を卒業後、同第2内科に入局した馬場研修医の前に現れた講師が、慶應義塾大学出身で病院を開設した若き吉田病院長だった。

 「カリスマ性があり魅力にあふれた吉田先生に憧れました。ただ私は、早く大学を出て臨床の現場に立ちたいと思っていたので、数カ月後には他都市の病院で勤務することに。吉田先生の指導を受けた期間はわずかでしたが、ご恩を忘れたことはありません。それから10年が経過し、まるで運命の巡り合わせのように、吉田病院へ勤務するチャンスを得ました。前理事長と交わした握手の温もりは今もこの手に残っています」

 前理事長は病院開設当初から人間ドックや健康診断など予防医学に注力。1990年代に入り保健・医療・福祉を統合する包括ケア体制の構築に着手する一方、2010年に悲願だった人間ドック学会学術大会の旭川開催を実現。約3000人が参集する会場で、自身の理念をテーマにした講演を行い、盛大な拍手を浴びた。

 「前理事長は早い時期から、これからの医療は在宅ケアが中心になると述べ、私を連れて在宅診療を精力的に行いました。その臨床の蓄積は旭川でもトップクラスで、当グループの在宅医療福祉センターが提供するケアの基盤になっています。残念ながら前理事長は2013年に他界されました。志半ばでこの世を去ることになった前理事長に代わり、力不足を承知で前理事長が目指した医療の実現に全力を尽くすことが、私の仕事だと思っています」

ポジションを明確にし道北のトップブランドに

理事長のポストは夫人の吉田良子氏が受け継ぎ、バランスの取れた体制を整えた慶友会は現在、健康創造の前提となる「安心圏」の構築を目指す中期マスタープランを進めている。

 「安心圏とは、慶友会の職員が提供する医療によって、受診者・患者・施設の入居者が不安なく毎日を過ごし、住民の方々もその安心感に包まれて暮らすことができる地域を指します。プランの重点目標である予防医療のさらなる進化、医療の質向上、ICTによる業務革新などは、プロジェクトチームを結成して取り組んでいます。着実に課題を克服し、予防医療から最期まで診ることのできるグループとしての位置づけを明確にして、道北圏のトップブランドになりたい」と馬場病院長は決意をにじませた。

医療法人社団慶友会 吉田病院
北海道旭川市4条西4ー1ー2 ☎0166ー25-1115(代表)
https://www.keiyukai-group.com/yoshi-hp/

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