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「人と人」 医療の原点を大切に

「人と人」 医療の原点を大切に

茨城県厚生農業協同組合連合会 JAとりで総合医療センター
病院長(とみみつ・ひろゆき)

1994年東京医科歯科大学医学部卒業。
東京都職員共済組合青山病院、東京医科歯科大学医学部附属病院神経内科(現:脳神経内科)助教、
JAとりで総合医療センター副院長などを経て、2020年から現職。

 茨城県南部や千葉県北西部を医療圏とし、主に急性期と回復期の機能を担うJAとりで総合医療センター。「患者との信頼関係」を大切にしてきた冨滿弘之病院長は、就任を機に原点に戻り、地道に追求していく。

同じ薬なのに何が違うのか

 JAとりで総合医療センターは、茨城県最南部の取手市で414床を構える。1976年に二つの協同病院が合併し、現在地に移転。内科系を中心に、年間約5000件の救急搬送を受け入れる。「患者さんや家族と心を通わせた治療に、スタッフ一丸で取り組んでいます」と、冨滿病院長。

 脳神経内科医として、県内外で脳卒中や脳梗塞、パーキンソン病などの診療に当たってきた。「内科医は基本的に薬で治す。同じ薬を処方して、医師によってどこで差がつくのか。ずっと考えながら仕事をしてきました」。たどり着いたのは、患者の気持ちに寄り添うこと。信用を得ること。医療者としての原点だった。

 信用してもらうには、心を開いてひたすら会話する。病状、予後の傾向、考え得る治療…。時間をかけてやりとりする。「その結果、患者さんが納得し、治療に前向きになって薬を飲んでくれるときとそうでないときと、『こんなにも効果に差が出るのか』と感じることが多くあります」。人一倍手間暇を費やすやり方だが、回復した患者の喜びの言葉に「また、頑張ろう」と思う。そんな年月を重ねてきた。

治療受けず逝った祖父への心残り

 鹿児島県いちき串木野市出身。医師の道を歩んだのは、幼い時の別れが影響しているという。

 両親は共働きの公務員。そのため、祖父母にかわいがられて育った。小学校に入る前のある日、大工だった祖父が倒れた。自宅があるのは片田舎。意識のない祖父を救急病院に運ぶこともなく、家で寝かせて回復を祈ったそうだ。

 今思えば、くも膜下出血だったと推測する。祖父は時折往診を受けたが、意識を取り戻すことのないまま数日後に亡くなった。「あのときは、あれが普通なのかと思っていました。しかし、小学校に入ってから『手術をすると良くなる人もいる』と知り、その後もずっと心に残ったままでした」

 東京の医大に進み、神経内科の道を選んだ。「昔ながらの教育」の色が濃かった時代。駆け出しの時期は厳しく、忙しく、「寝ないのが当たり前」の日々を送った。「でも、あの大変な時間があったからこそ、その後は充実した医師としての日々を送ることができているのだと思います」

やりがいを持って正しいことに挑戦

 「楽しさ」の一つは、未解決の臨床課題を解決していくことだという。

 市中病院での3年ほどの勤務を終え、大学に戻ると、先輩医師たちが日々、臨床で直面する難題について議論し、検証を重ねていた。忙しさの中で、熱く、楽しそうに。だが、自分にはその楽しさが実感できずにいた。熱を持って思考できる知識も経験も、まだ持ち合わせてなかったからだ。

 「次第に一緒に議論できるようになったのですが、実は、考えても解決できない問題がほとんど。しかし、続けるうちに100分の1ぐらいの割合で、世界のどこにもない解決策が見えることがあります。それが患者さんに還元できたとき、一番やりがいを感じます」

 そんなやりがいを、若手の医師が感じられる病院を目指す。技量を磨き、患者と信頼関係を築いた上で若手が「正しい」と確信するなら、「セオリー通り」でない治療も認めていきたい。地域を担う病院を取り巻く状況が厳しさを増す中、人と人とのつながりを重んじた医療を続けていく。

茨城県厚生農業協同組合連合会 JAとりで総合医療センター
茨城県取手市本郷2-1-1 ☎️0297-74-5551(代表)
http://www.toride-medical.or.jp/

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