佐賀市立富士大和温泉病院 佐野 雅之 院長
今年4月に院長職に就いた佐野雅之院長を訪ねた。富士大和温泉病院の取材は2度目。前回は2013年6月号に、前任者の木須達郎院長が登場した。
―医師確保にどんな工夫を。
平成24年度から、佐賀大学医学部附属病院地域総合診療センターとして総合診療科が設置され、大学から医師が2人来るようになりました。
佐賀大医学部は、佐賀医科大学のころすでに、日本の大学で唯一、総合診療科がありました。大学はどうしても専門化しますから、そこが問題となっていたんです。もう30年以上も前のことで、臓器別とは別に総合的に診られる医者を作ろうという時代の始まるころでした。
しかし最近はまた非常に専門的になって、やはり大学では全身を診る教育は難しいようで、それでここから、地域の施設に往診に出かけたり、外来でちょっとした救急に対応したりするわけです。
そうすると大学から来た若い医師は、ずいぶん新鮮に感じるようです。大学には重病の人が多く集まり、一般的な、よくある病気の人を診る機会はあまりないですからね。
―これからの医療をどう見ますか。
人間は誰しも、年齢を重ねることでだんだん弱くなります。病気になって、治療で回復するうちはいいのですが、そうならなくなった時どうするか。それは我々が本人や家族の思い、周りの環境などから判断することでしょうが、状況はさまざまですから、難しいことです。どこまで治療するか、医療もそこまでつきつめて考えなければいけない時期に来ていると思います。
―新院長としてまず何を。
前任の木須先生が長く苦労されました。それをどう発展させていくかです。高度な医療は必要ですが、ここは地域の病院ですから、気軽に受診でき、安心して家族を入院させられるような雰囲気があればいいと思います。
―医師を長年続けて思うことは。
私は小さいころ体が弱くて、父は会社勤めでしたが親戚に医者がいて世話になったものですから、それで医者になりました。
佐賀医科大学附属病院開院時から血液内科医として治療にがむしゃらでした。悪性腫瘍が多くどうしても治らない人がいる。そして、もう治らないとわかった時にどうするか。とはいえ、在宅医療という選択肢や、緩和ケア病床もない時代でした。でも大学病院には長くいられない。病棟主任をやっていた時も、ベッドを何とか空けなければいけない場合に、地域で安心して最期を迎えていただける施設の必要性をつくづく感じていました。今は県内に勤務する佐賀大の卒業生も増えて、かなり改善されていますが、まだ十分ではなくこれからの課題です。
―富士大和温泉病院の未来像について。
世の中に必要とされているのは、高齢者医療と、悪性腫瘍の末期がきちんと診られる施設だと思います。それが大学の若い先生への教育や研修にもなる。そのような拠点であればと思います。
他方で、当院だけでなく、佐賀県全体の病床数をどう調整していくかという課題もあって、それについては、公立病院が引き受けなければならない時が来るのではというような話も出てきています。さらには、地域包括ケアで在宅に戻すという流れになったにしても、実際には難しいことが多いです。高齢のご夫婦2人だけで暮らしている家がいっぱいありますからね。
当院は全体で98床あり、2階が一般病床で、3階には療養病床もありますから、うまくやりくりして地域の要望に応えられればと思います。療養病床のある公立病院は、あまりないんですよ。
―若い医療者が心がけておいたほうがいいことは。
相手の痛みを感じるとか、気持ちを思いやるとか、そういった感性は、特に臨床の場では知識以長 崎上に大切かもしれません。臨床は人間が好きでなければ務まりません。
いろんな本を読むとか音楽や美術に触れるとか、そのような経験も非常に大事ではないでしょうか。私は、人に言うほどでもないですが、音楽がとても好きで、学生の時にはオーケストラでバイオリンを弾いていました。友人は文系の学部の学生も多かったです。
今の医学教育は学習量が膨大ですぐに専門教育が始まりますから、困難だとは思いますが、医学には、いわゆるリベラルアーツ(一般・教養課程)のような教え方や学び方が必要だと思います。私が学生のころは、最初の2年間は倫理学や哲学などを時間をかけて教わりました。感受性が豊かな若いころにそのような経験をしておくことが、医師の感性につながるような気がしますね。