大腸がんに挑んだ人生 期待を込めてバトンタッチ
3月に定年を迎える奥野清隆主任教授。入局して年、大腸がんの研究・治療に向き合う間に医療技術は劇的に進化し、現場環境も大きな変貌を遂げた。若手にバトンを託す今、胸に去来する思いとは。
―部門の特長や、取り組まれてきたことを。
年100万人に上る日本のがん新規罹患者のうち、最も多いのが大腸がん。この大腸外科に注力してきました。
初代教授の陣内傳之助先生は1973年に「大腸癌(がん)研究会」を立ち上げ、初代会長として活躍された方です。胃がんの研究会会長もされましたし、いわば消化器外科のスーパースター。そのお弟子さんで、3代目会長を務められたのが安富正幸・近畿大名誉教授。私の師匠です。手術バイブルである「大腸癌取扱い規約」を作成するなど、ここは伝統的に大腸がん治療の中心的な教室の一つだったと言えます。
私が医師になった当時の手術は、大きく切り、徹底してリンパ節郭清を行うという方法。「偉大な外科医ほど大きく切る」と教えられたものです。それが今は逆。腹腔鏡が主体ですし、ロボット手術も積極的に実施しています。
こうなると、若い世代の出番です。上田和毅准教授と川村純一郎准教授、1994年、年卒の2人が名コンビとなって、意欲的に取り組んでくれています。かじ取りは任せました。あとは彼らのサポートに徹し、バトンを渡すだけです。
―医師人生で最も印象深かったことは何ですか。
急激に腹腔鏡手術が拡大したことですね。サージカルデバイスの進化で、名人芸を持たなくても良い手術ができるようになった。私が医者になった時分は結紮(けっさつ)第一で、先輩に「こんなことしなくてすむ手術ってできませんかね」と冗談で言っていたのが現実になったのだから驚きです。
医療の均てん化は大腸癌研究会でも目標の一つですし、その意味でもメリットは大きい。腹腔鏡は画面を見ながら教えやすく、学びやすいので、教育面でも優れています。
それにしても時代は変わりました。昔は徒弟制度が根強くて「教えてもらうなんて年早い、自分で盗め」だの、術野をのぞこうとすると「邪魔や。心眼で見よ」だの(笑)。今は、教育制度にしても、教わる人が学びやすいような仕組みに変化しています。
―若手に期待することは。
ここは南大阪で唯一の医学部。ワンランク上の手術を行うことが大学病院としての存在意義です。
例えば、aTME(経肛門的全直腸間膜切除術)と言って、腹腔側のみでなく肛門側からも内視鏡を用いる手術がありますが、これは人数も必要ですし一般の病院では難しい。大学でないとできない治療を完遂している自負はあります。今後もっと伸ばしてほしいと願っています。
教育面では、底辺の拡大ですね。近いうちに教授に昇格する予定の准教授コンビは手術がすごく上手ですが、技術認定医はまだこの2人だけ。今、何人か申請していて来春合格発表があります。うちの規模だったら5〜6人はほしいところ。期待しています。
今の若い人は、ある意味冷静に医師という職業を評価しています。コストパフォーマンスやQOLを大事にする。話を聞くと、よく理解できます。そういう思考が主流になれば、職場環境も少しずつ変わるかもしれませんね。
家は留守にしっぱなし、趣味も持たずにきました。「よく何十年もやりましたねえ」と同情されることもありますが、それでも生まれ変わったら、また外科医になりたい。環境が整った今なら、もっとうまい外科医になる自信がありますし、それだけやりがいのある仕事です。
手術は、一見乱暴な手法に思われがちですが、確実に治せる可能性が高く、効率の良い、患者に優しい方法だと言える。若い人にも、精一杯追究してほしいと願います。
近畿大学医学部外科学(下部消化管部門)
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