歴史ある腎代替療法 患者に寄り添い受け止める
国内でもかなり早い1960年代に血液透析を開始した福岡県済生会八幡総合病院腎センター。その歩みと、取り組みは。
―貴院の腎代替療法の歴史と特徴を。
1968年6月23日、当院で血液透析が始まりました。当時は米国製人工透析装置とキール型ダイアライザー1台だけ。1例目は16歳のループス腎炎の患者さんで、透析2回を経て高カリウム血症で亡くなっています。3例目の患者さんの場合は179回。週3回とすると約60週の生存でしょうか。いずれにせよ現在のような長期透析の時代がくることは想定外でした。
長期生存を目指して1970年、腎臓移植の準備を開始。有効な免疫抑制剤がなかったため、引退した競走馬を買って抗ヒトリンパ球血清の作製を試みたこともあったようです。
1972年5月に父親から24歳の息子さんに1例目の生体腎移植を実施。移植腎は2年4カ月生着し、その後は数十年間、血液透析で存命だったと記憶しています。腎移植については免疫抑制剤の改良の効果が大きく、現在では10年生着率85%程度まで成績が伸びました。
1980年からは在宅透析療法である腹膜透析も導入。1例目の患者さんが10年以上続けられたこともあり一時は患者さんが70人を超えたこともありました。
腎不全に至った場合、以上の三つの治療すべてを選択・実施できるのが当腎センターの特長です。腎代替療法の開始を考慮する時期には、これら治療法について十分な説明を行います。
比較的若年であれば透析導入後20年、30年の生存が普通に得られる時代に突入しました。長期透析で問題となる合併症は、透析アミロイドーシスなどの整形外科的問題、二次性副甲状腺機能亢進症、穿刺部位(バスキュラーアクセス)維持の問題のほか、最近では心血管系合併症がクローズアップされています。
透析導入患者の平均年令は、高齢化も反映されて約70歳。腎不全の原疾患は「糖 尿病性腎症」が最多で、心血管系合併症の割合が多くなったのも、この影響が大きいと思います。
―透析患者の心のケアは。
長期透析および高齢化した透析患者さんは心理的問題を抱える頻度が高くなっています。そこで透析患者のこころをどう受け止め、支えていくかという臨床の分野「サイコネフロロジー」が確立されました。
透析導入時の受け入れ拒否から始まり、透析を続けることへの不安や抑うつ、イライラ感、睡眠障害...。根本的解決が不可能な場合も多くあります。
われわれにとって一番大事なこと、また患者が求めていることは患者や家族のの話をまずは傾聴することだと思います。もちろん、前提として患者との間に遠慮なく話ができる関係を築くことが必要です。
―腎センターのスタッフの育成は。
経験年数に応じたものが必要です。当院の看護部門では10年以上前にクリニカルラダーシステムを導入。腎センターでは、日常業務と医療安全対策が十分に行えることが最初の段階。次にチームメンバーとしての役割を理解し、透析看護師としての専門性を確立することになります。勤続3年目以降では慢性腎臓病療養指導看護師の取得を推進しています。
透析医療は医師、看護師、臨床工学技士、薬剤師などが関わる典型的なチーム医療です。患者さんともスタッフ間でも良好な人間関係を維持することの大切さも伝えています。
また、自分の考えをまとめてそれを正しく相手に伝えるために学会などで発表する機会を積極的に持つように指導しています。
長期透析時代の到来により、透析療法の質とその結果としての患者のQOLが再評価される時代になりました。患者さんに寄り添った医療を、これからも続けていこうと考えています。
福岡県済生会八幡総合病院
福岡県北九州市八幡東区 春の町5-9-27
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