アフガニスタンと日本―命を支える現場から―【5月26日】
5月26日、福岡県歯科保険医協会はホテルセントラーザ博多で市民公開講演会「アフガニスタンと日本―命を支える現場から―」を開いた。講師はアフガニスタン出身、静岡県島田市でレシャード医院を営むレシャード・カレッド院長。「世界にある現実にもっと目を向けて」と訴えた。
◎将来の夢は「生きたい」
アフガニスタンの面積は日本の1.7倍にあたる65万2000㎢で人口は2916万人。
「豊かな文化、自然、町があり、子どもたちの笑顔があふれている。そんな生活が当たり前のものだった」
しかし、これらの大部分は度重なる戦火により失われてしまった。1978年4月に軍部クーデターが起こり、翌1979年に旧ソ連軍が軍事介入。撤退までに10年を要し、その間の犠牲者はアフガニスタン人150万人、ソ連軍3万5000人に上った。1994年にタリバンが勢力を拡大。2001年には「9・11」を契機とするタリバン、アルカイダに対する米英の軍事行動が展開された。
「実は米軍の戦闘機は沖縄からも飛び立った。日本のように平和が長く続くことは素晴らしいことだが、慣れすぎてしまうと世界で起こっていることに目を向けなくなってしまうことがある。もっとも恐ろしいのは無関心になることだ」
現在もアフガニスタンには800万個の地雷が残され、30分に1人の犠牲者が出ていると言われる。
「子どもたちに将来何になりたいか?と聞くと一斉に手を挙げて医師になって人を助けたい、先生になりたいと言った。手を挙げなかった子は"私は生きたい"とだけ答えました」
◎一滴の力を集めて活動
祖国の復興支援を目的に設立した「特定非営利活動法人カレーズの会」の活動が2002年にスタート。
「柱は医療と教育。カレーズとは現地の言葉で"地下水脈"のこと。一滴ずつ人の力を集め、いのちの水脈として人々に寄り添うという思いを込めた」
アフガニスタンの医療者は不足している。子どもたちが十分な教育を受けられないためだ。5歳から14歳の子どものおよそ3割が働いており、成人の識字率は3割程度にとどまる。
2009年に会が開校したハヤトラ・ハン小中学校には1372人が通っており、2002年開院のカンダハール診療所の受診者数は、昨年累計50万人を超えた。報酬はいっさい受け取らない。生まれ育った場所で医療を受けられるようにと、無医村や難民キャンプにも積極的に足を運ぶ。
「出向く医療・介護」に多大な情熱を注いでいることは、レシャード医院の訪問診療実績における在宅での看取り率が7割を超えていることにも表れている。
「まずは関心を寄せること。それがなくては、何も始まりません。世界で起こっていることは決して他人事ではない。自分にできることを考えてもらえたらと思います」
レシャード・カレッド院長は1950年アフガニスタンに生まれ、1976年京都大学を卒業。市立島田市民病院などで勤務したのち1993年に開業した。介護老人保健施設や特別養護老人ホームの開設、島田市医師会長を務めるなど地域医療に貢献するとともに海外での医療奉仕活動にも注力。2009年に「保健文化賞」を受賞した。