患者さんにとって私自身が"薬"になる
アメリカでのレジデント経験を生かし、長年研修医の育成に携わってきた西野洋院長。これから向き合うべき課題と、医師としての心構えとは。
―これまでの経歴を。
徳島大学を卒業し、第一内科に入局した私は、筋ジストロフィー研究班に所属しました。
その後、留学先のアメリカで、若い医師を育てるための効率的かつ構造化された独自のレジデント制度に興味を抱き、メイヨークリニックの研修医を経験。アメリカで神経内科の専門医を取得しました。
帰国後はそれまでの経験を買われ、亀田総合病院(千葉県)で研修医プログラムの考案・立案、リクルートといった医師の卒後教育に携わりました。そうした中、徳島大学の人事により今春、徳島病院の院長に就任しました。
―院長としての今後の抱負を聞かせてください。
32年ぶりに徳島県に帰ってきて、初めての院長職。慣れないことが多い中で、2022年には東徳島医療センター(板野郡)に当院の機能を移転、統合することが、院長就任後に決定したのです。
医療構造や、難病患者と社会との関わり方は日々変化を続けています。地域の人口も減少傾向にあることから、両院を統合し、徳島大学病院からの医師派遣先を集約化することになったのです。
統合後は、現在両院で使用していない病床を減らし、病床数の適正化を図ることで、経営状態の改善と持続可能な医療の提供を目指します。
「四国神経・筋センター」として、当院が筋ジストロフィーを中心とする政策医療の分野で担っている役割は大きい。統合後も、責任をもって患者さんを診療していく姿勢に変わりはありません。
―神経内科医として大切にしていることは。
「脊髄性筋萎縮症(SMA)」の初の治療薬として脊髄注射の「スピンラザ」が、2017年にスピード承認されました。同年には、アメリカで静脈注射によるSMA治療薬に関する論文が発表されるなど、神経難病は「診断だけの時代」から「治療する時代」へと変わりつつあります。
その一方で、治療法のない患者さんに対する向き合い方も、神経内科医の重要な役割と言えるでしょう。留学中、アメリカのある緩和ケア医に「WE ARE THE MEDICINE」という言葉を教わりました。
どんな患者さんにも寄り添い、優しく声をかけたり、微笑んだり、手を握ったりすることで、医師自身が患者さんにとっての薬になるという意味です。でも、冷たい心で接したり、ひどい言葉を投げつけたりすることで、薬(MEDICINE)は毒素(TOXIN)にもなりうるので注意が必要です。
以前、脳死判定をしたことがあります。意識はなく脳波も全く反応がないが、手は温かく、心臓も動いている。しかし私が脳死を宣告すれば、目の前の患者さんは亡くなることになる。
話せたら人間なのか、何をもって人間というのか。神経内科に携わっていると、いつも人間の存在意義について考えさせられます。しかし、初心に返り、「WE ARE THE MEDICINE」という言葉を自分自身への戒めとして、目の前の患者さんと誠実に向き合うことを大切にしています。
―徳島病院の今後の展開を教えてください。
徳島病院は東徳島医療センターへの機能移転に向けてかじを切っていきます。統合までの4年間で、抄読会や症例検討会など、若い医師が神経難病について勉強できる機会を積極的につくっていきたいですね。若い医師が「この病院で働きたい」「神経難病に携わりたい」と思ってもらえる文化や土壌を当院で育んでいくことが目標です。
独立行政法人国立病院機構徳島病院
徳島県吉野川市鴨島町敷地1354
TEL:0883-24-2161(代表)
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