九州合同法律事務所 弁護士 小林 洋二
前回、小児先天性心疾患に対する術後の心膜切開後症候群への対応が遅れたケースを紹介しました。
この件を含めて、わたしは小児先天性心疾患の手術に関する医療事故紛争を5件取り扱ったことがあるのですが、いったい何が起こったのか分からないままになってしまった例もあります。それは医療事故一般にあり得ることなのですが、この分野は特にそれが大きいように感じます。
Aさんは、単心房単心室(無脾症)の先天性心疾患で、BTシャント術、グレン手術という2度の開胸手術の既往がありました。18歳で3度目の開胸手術となるフォンタン手術を受け、術後、意識を回復しないまま、約8年後に亡くなりました。
意識が回復しないことを心配する両親に対しては、「手術中に出血が多かったので目がさめるのに時間がかかる、目がさめるのに1〜4週間かかった子もいた」「剥離(はくり)に時間がかかり出血量が多かったことが原因」といった説明がなされていたようです。
手術から3年以上を経て開示されたカルテには、胸骨切開中に電気のこぎりが心房を損傷し、予期せぬ大出血が起こっていたことが記載されていました。
また、看護記録には、「右心損傷し大出血↓頭に空気が飛んだ可能性大」という執刀医の言葉も記録されており、「心房損傷及び空気塞栓については話されていませんので!!禁句です」という関係するスタッフへの注意事項も記録されていました。
この事件は、裁判になりました。
裁判での病院側の主張は、カルテの記載内容とは大きく齟齬(そご)するものでした。病院は、心房裂創による出血はさほど大量のものではなく、術後の意識障害の理由を説明できるほどのものではない、裂創部から入った空気が脳に空気塞栓を起こすことなどあり得ないとして、心房損傷と患者の意識障害との因果関係を争いました。また、心房損傷を完全に防止できる手技はないのだからそれについての過失もないと争いました。
この事件は、一審・二審とも患者側が勝訴しました。法律雑誌には、二審判決が、「先天性心疾患を有する患者が、フォンタン手術を受けた際に心房を裂創され、低酸素脳症を発症して死亡した場合、手術担当の医師に手技上のミスがあったとして、病院側の債務不履行責任が認められた事例」として紹介されていますが、手技ミスというよりも、術前のCT撮影によって、胸骨と心房との位置関係を把握するなど心房損傷の危険を避けるための準備が不十分だったことについて過失が認められたものというのがわたしの理解です。
しかし、裁判所に患者側勝訴判決を書かせた本当の決め手は、カルテの記載と病院側の主張の齟齬があまりに大きく、病院のいうことがまったく信用できないというところにあったのではないかと思います。
確かに、人間の身体に起こることを完全に説明することは困難でしょうし、先天性心疾患があれば説明できない部分はさらに大きいでしょう。しかし、執刀医が言ってもいないのに、「脳に空気が入った可能性大」という言葉が記録されたり、箝(かん)口令が敷かれてもいないのに、「禁句です」という注意が記録されたりするというのは、それとはまた別の話です。
裁判は勝ったものの、この病院内でいったい何が起こっていたのかは分からないままです。
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