「下行性疼痛抑制系」強化のための戦略
痛みの正体は、かならずしも明らかになるわけではない。「だからこそ全身を総合的に診る姿勢が求められる」と安田哲二郎院長は語る。
◎患者を「土俵」に立たせるための漢方
博多駅前というロケーションですから、当クリニックにいらっしゃるのはビジネスパーソン、あるいは近隣にお住まいの方が中心。腰や首、肩の痛みを訴えるケースが多いですね。
遠方ですと九州各地や山口、壱岐対馬地方の患者さんもお見えです。ときおり、他県から福岡に出張中で「帰りの飛行機が心配なので、なんとか痛みを抑えられないか」と駆け込んでこられるケースもあります。
2011年に開院して以降、コンスタントに見られる症状の一つに「無疱疹性の帯状疱疹」があります。通常、帯状疱疹はピリピリとした痛みと発疹が特徴ですが、発疹がなく痛みだけが現れるのです。
疾患の存在は知られていたものの、診断が難しく、原因不明の神経痛とされることも少なくありませんでした。近年、血液検査による抗体価の上昇などで正しく診断できるようになり、当クリニックでも、意外と無疱疹性の患者さんが多いことを実感しています。
スマホ時代を反映し、若い方を中心にストレートネックによる頸肩(けいけん)部の痛みも増加傾向にあります。変形性の頸椎症に起因する「頸椎症性神経根症」や「頸椎椎間板ヘルニア」など、当クリニック全体としては神経痛の治療が主です。
薬剤の進化と普及で、専門の医師でなくても痛みの治療はずいぶん取り組みやすくなりました。それでも十分に緩和できなかったり、はっきりとした原因が分からなかったりする患者さんが一定数いて、当クリニックではかなりの割合を占めています。
西洋薬だけでは改善できない局面を打開したいとき、特に慢性の痛みに対して、私は漢方薬を使用します。
ぎっくり腰などの急性の痛みは病態が複雑ではないので、ガイドラインどおりに治療を進めます。しかし病態が複雑になった慢性の痛みは「痛みの悪循環」を形成し、複数の問題によって「痛みの本体」が隠れていることが多いのです。
通常の治療では効果が望めず、神経ブロックでも痛みをやわらげることができない。むしろ、的が外れた治療によって心身のバランスはさらに危うくなり、症状を悪化させてしまう│。このような患者さんたちは、いわば治療する「土俵に上がっていない」段階です。
そこで「土俵に立たせる」ために漢方薬を使用するのです。いわゆる「気・血・水」を整えていくと体質の改善につながり、真にアプローチすべき痛みの本体が少しずつ絞り込まれます。言い換えれば、西洋薬や神経ブロックがしっかりと効果を発揮できる体になるように漢方を用いる。治療しやすい環境をつくるために活用するというわけです。
◎ゴールはどこに設定すればいいのか
慢性的な痛みに悩まされてきた患者さんは、不安げに「ずっと薬を飲み続けなければならないのか」「神経ブロックをやめることはできるのか」と言います。
人間には本来、痛みを自分自身で抑制するすぐれた機能が備わっています。痛みの情報の伝達を抑える「下行性疼痛(とうつう)抑制系」のメカニズムの研究が、ここ10年ほどの間で大きく進みました。その抑制システムを強化することが、慢性の痛みと対峙する上で一つの戦略となります。
薬剤や神経ブロックでいったん「痛みがない状態」を目指し、脳や脊髄が覚えている「痛みの記憶」をリセットします。記憶が消えて痛みが軽くなると、体は本来の動きを取り戻します。すると人間は、おのずと「痛まない体のバランス」を再構築するのです。それに伴い下行性疼痛抑制系の機能が高まります。
痛みの根本的な原因がなくなるわけではありませんが、「痛みがあまり気にならなくなった」というレベルにまで一度到達する。私たちペインクリニシャンが目指す「落としどころ」です。
例えば椎間板ヘルニアの治療は、昔は「手術」でした。現在は保存療法が基本です。すぐに治る手段がないのなら、何をゴールに設定して治療すればいいのか。九州大学病院のペインクリニックで診療にあたっていたころ、とても悩んでいた時期がありました。
そうした中で下行性疼痛抑制系のことを知り、「この機能を高め、痛みとうまく折り合いをつけることが一つのゴールではないか」ー。そう気づいて視界が広がったことを覚えています。
◎人間から痛みをなくすことはできない
痛みは警告信号。大事な機能ですから、けっして「ゼロ」にはならない。そして「神経」という単語には「神」の字が含まれているように、そもそも人間が簡単に踏み込める領域ではありません。痛みを簡単に緩和することはできないのです。
痛みは客観的な数値で表すことができません。国際疼痛学会が痛みを「感情表現」だと定義しているように主観的な症状です。どこがどう痛むのか、うまく説明できない方も多くいらっしゃいます。
自分が「痛みがひどくなっている」と思えば症状は重くなり、学校や職場に行けなくなって社会からドロップアウトしてしまう人もいます。1人でさみしいからと、かまってほしくて「痛い」と言う例もあります。このような症例はじっくりとコミュニケーションを図ることで改善に向かうことがあります。そう考えると私たち痛みの専門家に求められているのは、「患者をトータルに診る」ことなのでしょう。
あるときは漢方薬を駆使して、痛み以外の体のバランスを整える。メンタル面に着目して、対話を重ねて解決の糸口を探る。「リセットボタン」であるブロック注射で一気に状況を打開する。さまざまな手法を用いて医療を提供することが大事なのだと思います。
基本は人間関係。一対一の「真剣勝負」だと心がけています。どんな方にも敬意をもって、真剣に向き合うことは忘れずにいたいですね。
はかたペインクリニック外科・麻酔科
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