1989年11月13日、島根医科大学。外科医・永末直文氏は、日本で初めての「生体肝移植」に挑もうとしていた。
◎祈るような気持ちで
午前9時40分、「同所性部分肝移植」がスタートした。まず杉本裕弥ちゃんの肝臓と胃、十二指腸、大腸との癒着を剥離。肝臓の摘出が可能だと判明した段階で「ゴーサイン」を出し、隣室で待機しているドナーの父・明弘さんの肝切除にも着手。肝臓のおよそ5分の1にあたる部分を切離し、裕弥ちゃんに移植する―。
永末氏の懸念は裕弥ちゃんが過去2度、先天性胆道閉鎖の手術を受けたことで非常に強い癒着が予測されること。門脈圧亢進症であることから、多量の出血を覚悟しなければならなかったことだ。
実際、開腹した永末氏は「想像以上の癒着だった」と回想する。肝臓の剥離が完了した午後1時33分までの間、出血量は2000ml。通常の数倍の時間を要したが、「とにかくあせらないように、丁寧に進めていくことだけを考えていた」。
午後0時52分、永末氏は明弘さんの手術開始に踏み切った。
続いて肝門部の剥離へと移る。裕弥ちゃんは肝臓と腸を直接つなぐ葛西手術を受けている。永末氏は肝門部と十二指腸の縫合部を切り離し、できた「穴」を細心の注意を払って埋めていった。
精緻な動きを続ける手。反面、心中は「狭窄(きょうさく)や縫合不全よ、起こってくれるな―」。
ただ祈るような気持ちで臨んでいたという。
◎近づく「そのとき」
肝動脈、肝静脈。着々と剥離は進み、いつでも裕弥ちゃんの肝臓を摘出できる状況は整った。
ところが、並行して行っていた明弘さんの肝切除は難航していた。移植する予定の明弘さんの肝臓には、通常なら1本のはずの静脈が2本。切除すべき部分の判別が難しかったのだ。
永末氏も手術に加わって、ようやく肝臓を摘出できたのは午後5時33分。これから父から子へと渡されることになる「命のバトン」は、しっかりとボックスに収められた。
永末氏が初めて杉本親子と会ってから1カ月足らず。移植手術が始まっておよそ8時間。「そのとき」が近づいていた。