リーダーに必要なのは決断、実行、責任をとること
◎13の施設で切れ目ない医療
慈恵会グループは、医療・介護・教育を3本の柱に、13の施設を運営しています。病院は新須磨病院と新須磨リハビリテーション病院、クリニックは新須磨クリニック、腎友会クリニック、新須磨透析クリニック。神戸医療専門学校と松江医療福祉専門学校、有料老人ホーム、介護老人保健施設、訪問看護ステーションがあります。
新須磨病院がマグネットホスピタルとしての役割を果たしながら、法人内で医療・介護を間断なく提供できるよう、ネットワークを構築しています。
◎日本二分脊椎・水頭症研究振興財団
1993年、日本二分脊椎・水頭症研究振興財団を設立しました。昨年までこの財団の会長をしていた松本悟先生は、神戸大学脳神経外科名誉教授で小児脳神経外科の世界的な権威です。松本先生と私の父の澤田善郎が懇意にしていたことから、1万人に3人程度が発症するという、先天性疾患「二分脊椎」と「水頭症」の子どもたちを救うための財団をつくってほしいという要望がありました。そこで、慈恵会が基本財産3億円を出し、1993年、財団を設立しました。
病気について知っていただくために、各地でセミナーを開いて啓発活動に取り組みながら、毎年、研究者を3人ほど選び、論文審査をして、助成金を出すなど、研究支援もしています。
◎創傷治療の先駆け
慢性動脈閉塞、糖尿病性足病変の傷などで、6カ月以上治らない傷を慢性創傷と言います。昔は、足の指が壊死(えし)すると、足首やひざから下を切断するしか手立てがありませんでした。
2002年、アメリカで、切断せずに足を残す治療法が確立していると聞き、当院外科の北野育郎医師に学びに行ってもらいました。北野医師に手技を習得してもらい、2003年、当院に全国に先駆けて創傷治療センターを立ち上げました。
開設当時、全国から多くの患者さんが来ました。そんな中、左足の膝から下を他院で切断された患者さんが、右足も切断しなくてはならないと言われ、当院にお見えになりました。
当院で血行再建手術を施し、結果的には、右足のかかとだけの切除で済みました。その時、患者さんが「私は本当に左足を切断しなくてはいけなかったのでしょうか?」と言ったのです。その言葉が忘れられません。
2003年、日本フットケア学会が設立され、国内における足の病変治療に関する認識が変わり、全国的にもフットケア外来を設けている病院も増えてきました。
◎三つの"不"を取る
須磨区の高齢化率は約30%(2015年)。実際、1人で外来に来られる高齢患者さんが多く、付き添いの方も高齢者だったり、中にはお二人とも認知症だったりすることもあります。
検査の方法や診断結果などの説明に時間をかけ、より丁寧に対応することが必要です。
また、最近の患者さんは医療に関する知識も豊富です。"目の肥えた"患者さんに選ばれる病院になるには、建物・設備といったハードと、医療、接遇というソフトの両面を充実させることが求められます。
「不安・不快・不満」の三つの言葉から「不」の字を取って、「安心・快適・満足」に変える。このような医療に取り組んでいます。
一昨年の新築移転や設備投資などで、昨年度の収支は赤字でした。いい医療を安定的に供給するためには、最低限、黒字体質にしておかなければなりません。
これまで私は、収支について職員たちに言うことはあまりなかったのですが、今年度からは医師たちに、急患も紹介患者さんも、できる限り受けるようにとハッパを掛けるようになりました。
これまであまり口を出さなかったからでしょうか、それなりに効果があるようです。みんな奮起してくれて、どの診療科も頑張ってくれています。
やる気を出させるために、外科医の給与を歩合制にしている病院もあるようですが、私はそうはしたくない。手術をすればするほど収入が増えるということは、手術適応を下げ、手術しなくても済む症例まで手術をするようになってしまう可能性があるからです。
医師に成果主義を求めたら、間違いなく医療は荒れると思います。ただ、診療科によって業務量には違いがありますので、モチベーションを維持するためにも、頑張った人は適正に評価して、ボーナスに反映させるようにしています。
◎職員に思いを伝える
750人の職員に私の考えや思いを伝えることは難しい。毎週月曜日に「年輪(院長のひとり新聞)」というものを発行しています。2005年から続けていて、職員全員にメールを配信。すでに600号を超えました。
その週の私の予定、偉人の名言、最近読んだ本などを掲載。毎週月曜日だけは救急を診ているので、担当した患者さんのことを書いたり、新入職者のために、診療科やグループ施設の紹介を書いたりすることもあります。
また、毎週木曜日には、「寺子屋」という院内勉強会を開いています。できるだけ、いろんなことを全職員に周知したいのです。毎月、「こんな話、あんな話」というエッセイを書いて給料袋に入れています。
職員みんなが読んでくれているかどうかはわかりません。しかし、中には、いい言葉の部分を切り抜いて壁に貼っている職員や、「母親が楽しみにしているので毎月送っています」という職員もいてうれしいですね。
それを一冊にまとめて、昨年、書籍「医療はとってもいい仕事」を出版しました。
◎「決断」と「実行」
当法人の13施設、すべてが常に順風満帆ではありません。専門学校や有料老人ホームの経営再建など、いろいろと大変なこともありましたが、何とか乗り越えてきました。
組織を運営するには、結果として間違った決断であったとしても、できるだけ早く決断し、すぐに実行することが大事です。
私は外科医です。急患があったら、まず診断をつけなければなりません。ずるずる診察して容態を悪くしてしまうこともあります。診断をつけないまでも、手術をするかしないか決めないといけない。その点においてはいくらか心構えができている。長年外科医をやってきたおかげで、学ぶことは多かったですね。
◎阪神淡路大震災が転機
リスクマネジメントについて考えるきっかけとなったのは、1995年に起きた阪神淡路大震災です。須磨区でも多くの家や建物が倒壊し、当日病院には約250人の負傷者が来院、22人の方が亡くなられました。
病院の建物が倒壊をまぬがれたことは不幸中の幸いでしたが、うちは民間病院ですから何の後ろだてもありません。余震が続く中、1週間くらいして、病院が倒産するかもしれないといううわさが流れました。なんとか乗り切ることができましたが、そのころからリスクマネジメントを本気で学ぶようになりました。
父の代までは、いわゆる"個人商店"のような経営をしていましたが、組織の継続性を考えると、個人商店から企業への脱皮を図る必要がありました。
私は神戸大学経営学部経営学研究科に入学し、MBAを取得しました。
また、日本のリスクマネジャーの第一人者で 初代内閣安全保障室長を務められた、佐々淳行氏に弟子入り。2カ月に1度、東京で開かれている危機管理研究フォーラムに2〜3年ほど通いました。
経営も、医療も、すべてにおいて重要なのは「予知・予防」ですが、万全を期していても、思わぬハプニングはつきものです。起きたことは仕方ない。その後のダメージをいかに小さくするかを考えることが必要です。
後漢の光武帝劉秀が残した「疾風に勁草を知る」という言葉があります。「強い風が吹いて初めて強い草が見分けられるのと同じように、厳しい試練に直面したときこそ、意思や節操が固い人間であるかどうかがわかる」という意味です。
経営悪化や医療事故など、"強い風"が吹いたとき、理事長として、院長として、矢面に立ち、逃げずに適切な対応をすることができるかどうか。つねに頭の片隅にあります。
いざというときに、絶対に逃げない、めげない、くじけないことが、真のリーダーに求められる資質だと思います。
医療法人社団 慈恵会 新須磨病院
神戸市須磨区衣掛町3-1-14
TEL:078-735-0001
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