すべての子どもたちをスタートラインに立たせてあげたい
―宮崎県の周産期医療は、かつて劣悪な状況が続いていました。
1991年ごろ、宮崎県の周産期死亡率は全国で最悪の状態でした。
1998年に宮崎市郡医師会病院に周産期母子医療センターが整備され、宮崎大学の総合周産期母子医療センターと共に県内の周産期医療を向上させる体制がとられました。その結果、周産期死亡率が全国で最も低くなり、安全なお産ができる県として県民の期待に応えることができるようになりました。
県内の高度周産期は宮崎大学と県立宮崎病院が担当しています。当院はNICU(新生児集中治療室)があるため、早産などで小さく産まれた赤ちゃんや具合の悪い赤ちゃんに対する集中的治療をします。
また、単科の産婦人科ではできない、合併症があるお母さんの出産も、他科との連携によって十分な対応が可能です。
そのほか、都城市や日向市、さらに延岡市や日南市の患者さんでも、その地域の病院が満床だったり管理が困難だったりする場合は、当院で管理させてもらうこともあります。
周産期について、宮崎大学医学部附属病院が3次施設であり、宮崎市内では県立宮崎病院、古賀総合病院と当院が2次施設としての機能を担当します。その中でも当院はいわゆる「受け皿」機能を果たしており、開業医の先生だけではなく3次や2次病院が満床であれば常時受け入れる体制をとっています。市郡を対象にした医師会立病院ですので、医師会会員の先生が気軽に使える、利用しやすい病院を目指しているのです。
病床数はNICUが3床、急性期病院として28床の病棟を持ち、あとは赤ちゃんの回復室であるGCUを18床置いています。ほぼ毎日手術や分娩(ぶんべん)があり、年間で、帝王切開だけで250例、婦人科手術が20例以上あります。
帝王切開は、個人病院の先生の負担が大きく、麻酔科医が不足しているため、可能な限り当院が担当します。もともと開業医の先生たちのご負担を軽減するために開設された病院ですので、帝王切開や早産などのなんらかのリスクがあるケースについては当院が担当させていただいています。
そういう意味では、市立病院などの公立病院とも少し違う性格を持った病院だといえます。
さらに、出産になんらかのリスクを抱えている場合も当院で担当しています。例えば、お母さんが高齢であったり、肥満であったり、妊娠糖尿病であったりといった妊婦さんを開業医の先生が診るのは負担が大きいので、当院も加わって診療(併診)します。
併診とは、妊娠中の重要な期間は当院を受診していただき、それ以外のときは慣れ親しんだ開業医の先生が診るような共同体制のことです。結局、患者さんが最も安全に、かつ満足がいくような妊娠分娩ができるような環境を、医師会会員の方といっしょに作っていこうということなんですね。
―いわゆる開業医へのバックアップ体制、リスク管理といった機能は、かつてのワースト記録の反省から生まれたのですか。
そうだと思います。電話一本で簡単に相談できる体制をとり、24時間開業医の先生、その向こうにいる患者さんのお役に立つようにと心がけています。
宮崎大学の池ノ上克学長が20年以上前に宮崎に来られた時に、ハイリスクもローリスクもすべて開業医の先生が担当している状況だったことを憂慮され、気軽に高次施設に相談、コンサルトできる体制を作りあげられました。
都会でこういった体制を作りあげるのは困難だと思います。開業医の先生同士が顔を知っている宮崎だからこそ実現できたシステムといえるのかもしれません。
当院は循環器系が非常に充実しており、整形外科も年間600例を超える手術件数があります。なにかあったときの他科との連携でも非常に心強いですね。
妊婦さんがおなかが痛いという場合に、虫垂炎なのか切迫早産なのか、判断しかねる場合は24時間相談を受け付けていますので、開業医の先生にとっては強力なバックアップになると自負しています。
―全国的には産科医不足がいわれています。ご自身が考える産科の魅力は。
よく言われることですが、「おめでとうございます」と言ってよい数少ない診療科です。新しい命の誕生に立ち会えるのはなんともいえない感動があります。
宮崎大学医学部附属病院の鮫島浩病院長がかつておっしゃっていたことがあります。「赤ちゃんを救うために何億円も投資する意味があるのかと言う人もいる。しかし、目の前の赤ちゃんが将来ノーベル賞を取る可能性だってあるんだ。経済効果として考えても投資する意味は大いにある」。一人ひとりの赤ちゃんたちはお金で測れない価値を秘めている、ということだと理解し、まさにその通りだと思っています。
産科医師としては、すべての子どもたちを同じスタートラインに立たせてあげたいと考えています。
たとえば小学校や中学校に入るときには、みんな横一線に並んでほしいんです。その先は自由競争でも構わないのですが、「よーいどん」で始まるときに脳性まひなどの、産科医である自分たちがちょっと努力すれば防げた「ハンディキャップ」を負わせたくない。極論すればそれが私の仕事だと思うのです。
鹿児島市立病院総合周産期母子医療センターの茨聡部長に付いて1年間勉強させていただいたことがあります。
茨先生は「自分たち医師ができることは限られている。障害がある子たちの人生は、病院を出てからのほうが長いのだから、その子たちに優しい社会を作ることも医師の仕事なんだ」とおっしゃっていました。
赤ちゃんの約1割はなんらかの医療的介入が必要な形で産まれてきます。さらに1%の赤ちゃんには特別な処置が必要だといわれています。もし、なんらかの障害があって産まれてきたとして、理想は一直線に同じスタートラインに立つことですが、そのちょっと後ろに立たざるをえない子どもたちも社会全体がもっと押し上げて、前へ進ませる。そんな優しい社会を作るために、産科医である私たちも一般の方にむけてもっと発信すべきだと思います。
フランスで、ダウン症の子が気象アナウンサーになった、という報道がありました。日本ではスタートラインに立てない子はだめな子となりますが、立てない子には全力で手助けをすればいいのです。
自分たちの経験をいかして、多様性をもった社会の実現について啓発していくことも、今後は必要になると思います。
宮崎市郡医師会病院
宮崎市新別府町船戸738-1
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