医療法人 医仁会 さくら総合病院 小林 豊 院長

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熊本地震に学ぶ被災地の局面に応じた医療支援

【こばやし・ゆたか】 麻布高校卒業 2000 千葉大学医学部卒業 2008 千葉大学大学院修了(医学博士) 2004 国立がんセンター中央病院外科レジデント・がん専門修練医 2008 船橋市立医療センター外科医長 2011医療法人医仁会さくら総合病院外科部長 2013 同副院長 2015 同院長

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◎熊本地震発生900km離れた被災地へ

 昨年4月14日の「前震」発生時、私は学会に出席するため大阪市内に滞在していました。宿泊先のホテルでも揺れを感じるほどでした。その2日後に「本震」が発生。これはもうただ事ではないと、すぐにわれわれができることは何かと考えました。

 当院にあるドクターカー2台での出動を検討しましたが、当院から熊本までは直線距離で約900km。移動だけで丸1日かかります。発生から3日間とされる外科医が活躍すべき超急性期の段階で、十分な活動をすることは難しいだろうという結論に至りました。

 熊本地震とこれまでの地震との大きな違いは、震度7クラスの地震がたて続けに2回起きたことです。2回の地震で倒壊を免れたとしても、建物の基礎が脆弱(ぜいじゃく)化し、ちょっとした震動でも倒壊する恐れがありました。そうなると、避難所生活は長引きます。避難所での生活が1週間以上続くと、必要になるのは感染症対策です。

 ボランティアが多数入るゴールデンウイークまではまだ時間があり、避難所生活が長期化している現地に、われわれの活動意義を見いだしました。発災1週間後、片道13時間の道のりをドクターカー2台に分乗して阿蘇に向かいました。

 現地では行政が存在や実態を把握していない自主避難所を含めて、多くの被災者が避難所生活を送っており、インフルエンザやノロウイルスなどが大流行目前の状況でした。

 私は、感染管理(InfectionControl Doctor)の資格を持っています。だから現地で阿蘇医療センター内に結成されたADRO(アドロ/阿蘇地区災害保健医療復興連絡会議)の傘下に結成したばかりの感染管理チーム(長崎大学、自衛隊、当院)に加わって活動することができました。感染症の治療、各避難所の感染リスクアセスメント、感染管理物品の実態調査と配布を主なる業務としました。各救護班が収集する情報に基づいて、評価と対策を迅速に行い、即座に対応へフィードバックするような仕組みが作られ、ノロウイルスやインフルエンザといった感染症のアウトブレイクを防ぐことができた、と思います。

◎一番大事なのは医療ニーズを増やさないこと

 阪神淡路大震災、東日本大震災、そして熊本地震。これまでに三つの大きな災害で医療支援をしてきましたが、それぞれの震災は全くタイプが異なります。時代、土地、季節の違いによって、各被災地における疾病内容、患者構成、医療環境などが異なるため、柔軟な対応が必要です。

 阪神淡路大震災の反省をもとに全国の病院でDMATが結成され、いろいろな活動ができるようになりました。しかし、現場に行ってみないとわからないことが、まだまだたくさんあります。震災直後、1週間後など、どの局面で支援に入るかでやるべきことは変わってきますし、搭載すべき物品も変わってくるのです。

 例えば超急性期の場合、物品の流通が復旧していない状況なので、支援する側は燃料、食料、水など、自活するための準備が必要です。しかし、1週間たてば既に物流が復旧しているエリアもあります。自活するより現地調達した方が被災地の消費を促すことにつながる場合もあるのです。現地のガソリンスタンドやコンビニエンストアなどの復旧状況を十分に調査した上で準備することも重要ですね。

 被災地では医療のニーズ(需要)とサプライ(供給)のバランスは平時と異なり、余裕はなく不安定です。医療救護班のスタッフがニーズを増やすようなことになってしまうと、そのバランスは一気に壊れてしまう。ですから、もしチームの中に病人やけが人が出た場合は、すぐに撤退するよう事前に指示を出していました。

 持参する食料には当院の管理栄養士が必要カロリー・水分量の計算をした上で消費期限の長いものを準備しました。あくまでも自分たちの体調管理を最優先にするように心掛けました。

 助ける側が元気な状態でないと、助けられる側はその手をつかむことはできません。自分たちの足でしっかり立っていること、それが人を助ける医療者の最低限の条件です。任務を終えるまでは、チーム全員が誰一人欠けることなく無事に戻ってくることを一番の目標に掲げたのです。

 「災害医療」というと、ものすごく大きなことのように感じられるかもしれません。しかし、例えば交通事故の中の多重事故は「交通災害」と言い換えられるように、救急医療という面では多くの共通点があります。われわれは、日ごろから事故や労災現場において消防と常にコラボレーションしているので、ある意味現場慣れしています。今回の地震でも、そうした経験を生かすことができたのではないかと思います。

◎今後を見据えて

 当院がある愛知県大口町は、地盤が強く、浸水の恐れも少ないエリアです。南海トラフ地震による死亡者は出ないだろうとも言われています。そうなると、県内で被災した病院からの患者さんの受け入れ、さらには遠隔地で発生した災害への医療支援を求められることも考えられます。当院には私以外にも過去の震災で医療活動の経験があるスタッフがいますので、それぞれのノウハウを持ち寄って「災害医療救援隊マニュアル」を作りました。南海トラフ地震に限らず、今後の各地における大災害に備える考えです。

◎「待っていたのでは救えない命がある」

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 戦時中、祖父は軍医をしていました。軍医の役割は部隊の一番後方に待機して、運ばれてくる傷病者を治療することです。ところが、うちの祖父はそれを待っていられず、弾が飛び交う前線まで出向いて治療していたそうです。その精神は、当法人の理念「人が嫌がってやらないことを率先してやる」に通じています。父の代になってからは「病院で待っていたのでは救えない命がある」とドクターカーを導入しました。やはり「待っていられなかった」のです。

 私の代になってからも、福祉施設へのドクターカー出動、地域社会に出向いての300人規模の市民公開講座(2回/年)、東日本大震災、熊本地震、やはり「待っていられない」と、こちらから出向いて活動を展開しています。何においても、ただじっと手をこまねいて待っていられない性格は血筋かもしれませんね。

 今年4月には、法人内に「ロータス在宅専門クリニック」を開設します。いろいろな理由で医療を受けられない方、老老介護や独居老人は、待っていたのでは手を差し伸べられません。このような方々を「待っていられない精神」で訪問診療を始めていきます。在宅専門クリニックで対応しきれない病状や急変については、さくら総合病院が24時間バックアップしていくわけです。

 当院の「安心安全な医療・療養環境を提供する」という理念のもとに、「安心安全な医療や療養環境を損ねた状態」である「大災害の被災地」や「多くの高齢者を抱えた福祉施設での急変」、「交通事故や労災事故」にはその場所を問うことなく対応していきたいと思っています。

医療法人 医仁会 さくら総合病院
愛知県丹羽郡大口町新宮1-129
TEL:0587-95-6711(代表)
https://www.ijinkai.or.jp/

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