治療の進歩と残る課題
◎胸部大動脈から四肢の血管まで
日本の多くの病院では、欧米に習い、心臓と胸部大血管を手術する「心臓血管外科」と、横隔膜より下を担当する「末梢血管外科」が分かれています。
しかし、私たちの医局は心臓から足先まで区別なく担当しますので、人工心肺を用いて手術するような胸部大動脈疾患のほか、腹部大動脈の疾患、下肢救済のための四肢の動脈・静脈疾患も扱います。難しい手術も経験しますし、手技や手術の方法にもバリエーションがある。この幅広さが、強みではないでしょうか。
◎九州でいち早く開始 ステントグラフト
当科は1999年、九州で最も早く、大動脈瘤(りゅう)に対するステントグラフト内挿術を開始しました。
ステントグラフトの論文が出始めたのが、90年代初めごろ。「この方法は将来の治療のメインになってくるのではないか」と考え、当時、いち早くステントグラフトのチームを立ち上げていた東京医科大学に、当科の田中厚寿先生に行ってもらいました。その後は、鬼塚誠二先生に引き継いで、がんばってもらっています。
現在、胸部・腹部の大動脈瘤に対して年間70〜80例のステントグラフト内挿術を実施。これは同疾患の患者さんの半数ほどに当たります。ただ、この割合は高いほうではないと思いますね。
ステントグラフトは、大動脈瘤がある場所や形によっては、使えないことがあります。無理してステントグラフト内挿術をすれば、合併症が起きるリスクが高まるのです。
一方で、超高齢者や重篤な合併症がある患者さんの場合、開胸・開腹手術は侵襲が大きすぎることもある。手術にもステントグラフト内挿術にも自信を持っているからこそ、「どちらの方法がこの患者さんにとってベストなのか」を、冷静に判断しています。
高齢化が進み、手術をすべきか判断に迷うこともあります。最終的には患者さん本人が決めることですが、私は、「自分の家族だったらどうするか」ということを考え、患者さんにお話しするようにしています。
手術するかどうかを見極める基準の一つは「健康年齢」。手術をして、元気になって、社会生活が楽しく送れると見通せれば、手術を勧めます。手術をして、病気自体は治ったけれど寝たきりになってしまうようでは、良い治療だったとは言えないと考えています。
◎血管の「総合医」と手技別「エキスパート」を
ステントグラフト導入以外にも、私が血管外科医になったころと比較すると、さまざまな変化があります。対象疾患の患者数が増え、治療の幅も広がりました。
解離性大動脈瘤や感染性動脈瘤は、当時、手術をした患者さんの5割ぐらいは亡くなってしまっていましたが、今は、9割助かります。機器、薬、麻酔の進歩、医師や看護師が疾患に対する知識やノウハウを蓄積してきたこともあるでしょう。
今後、血管の病気になる人はさらに増えると思います。ただ、ステントグラフトの機種などの進化で、年々、カテーテル治療を中心とした血管内治療の割合が高まることは間違いありません。血管疾患の6割ほどは、手術せずにカテーテルで治療できるようになるでしょう。
今後求められる医師は、二つのタイプ。一つは予防や内科的治療も含めた総合的な血管疾患治療ができる医師です。
下肢血管疾患の一種「閉塞性動脈硬化症(ASO)は、若いころから運動したり歩いたりすることを習慣づけると、防ぐことができます。運動せずに血行が悪くなると、筋力が落ちる。すると運動がいやになり、さらに動かなくなり、ますます筋力が低下して、寝たきりにつながっていく。今、盛んに言われているロコモティブシンドローム(運動器症候群)やサルコペニア(加齢による骨格筋量の減少)、フレイル(高齢者の認知・身体機能低下)も、血管疾患と関係するのです。
今後は社会活動の幅を広げ、予防にも力を入れていく必要があると考えています。
もう一方は、手術や血管内治療の難しい特殊な技術を擁する専門職の医師です。血管内治療の増加で、手術の対象となる患者さんは重症だったり治療が難しかったりする患者さんの割合がますます高くなっていきます。一層の技術向上が求められるのです。
技術を磨くためには、ある程度の症例数が必要ですから、分野を絞ったエキスパートの養成が必要だと思いますね。
◎患者をいたわる手術
若い先生たちには、モチベーションを持って、今は治すことができないような困難な病態に対する治療、手術に取り組んでほしいと願っています。そのためには、目の前の仕事、治療に手を抜かないことと、努力の継続が必要でしょう。
指導する側がすべきなのは、褒めて任せる、ということなのでしょうね。特に「任せる」のはなかなか難しい。自分でも十分にはできていないと思います。
でも、私ももう60歳。意識して任せなければと思っています。そうは言っても気になって、手術室の中にいたり、夜でも教授室で待っていたりするんですがね。
私は長崎のサラリーマン家庭で育ち、「自分で判断できる仕事がしたい」と医師を選びました。いい治療をしたい、自分の手で患者さんを治したい、というのが、外科に進んだ理由だったと思います。
でも、外科医を長くやってくると、少しずつ考えが変わるものです。今は、「患者さんは、悪いところに適切な必要最小限度の修復を加えれば、あとは自然に治っていく。医者が治すのではなく、患者さんの体が治ろう、治ろうとするのを後押しするのだ」と思っています。
若いころは、治すぞ、と思って外科の道に入ってくる。それでいいと思います。でも、完璧を求めすぎると、加える手の数が増える。そして、その一つ一つにリスクが生じる。30数年、外科医をしてきて思うのは、患者さんをいたわるような手術、操作が最も外科医に大切なことではないかということです。