東日本大震災から6年 熊本地震から1年
30年以内に70%の確率で発生―。
東海から九州沖の太平洋海底にある南海トラフ沿いで、発生が予想される南海トラフ地震。
マグニチュード8~9クラス、最大震度7の大きな揺れと、最大19mの津波が高知沖沿岸を襲い、死者は約32万人にも上る推計だ。
熊本地震被災地の医師の声、災害医療に携わってきた医療者の思いや各病院の取り組みを通して、医療と災害について伝えたい。
「避けられた災害死」に立ち向かう災害医療チーム
災害医療は、数々の教訓の上に発展してきた。
1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震。大規模な被害を経験する中で、急性期から心のケアまで、さまざまな災害医療専門チームが生まれた。
「その時」に備えて、各チームは常に訓練を続けている。これまでの主な活動を振り返る。
◎災害急性期に対応DМAT
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の死者数は、災害関連死を含めて6434人。平時のレベルで医療が提供されなかったために起きた「避けられた災害死」は500人ほどと考えられている。
自治体間の協定がないため、救急車の出動が制限されるケースなども目立った。地震発生後6時間以内に大阪府内の病院に転送されたのはわずか3例で、ヘリコプターの輸送は初日で1件のみだった。震災を契機として、災害医療のさまざまな課題が浮き彫りとなった。
この教訓を背景に2005年、厚生労働省により災害派遣医療チーム「日本DMAT(Disaster MedicalAssistance Team)」が発足。医師、看護師と事務職員などの業務調整員からなり、「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」と定義される。
主に災害現場でのトリアージ、緊急治療、がれき下での医療を担う。患者搬送拠点として空港などに設けた臨時医療施設や、航空機内での医療についても専門的な訓練を重ねている。
JR福知山線脱線事故(2005年)、新潟県中越沖地震(2007年)などでも活躍した。
◎各県医師会が編成JMAT
日本医師会は、災害医療チーム「JMAT(JapanMedical AssociationTeam)」の創設を東日本大震災の1年ほど前から検討。震災直後の2011年3月15日に結成・派遣が決定した。
被災地以外の都道府県医師会ごとにチームを編成。被災地の医師会の要請に基づき派遣される。避難所や救護所における医療や健康管理など、災害急性期以降の活動が中心だ。
DMATは災害発生からおおむね48時間以内に被災地での活動をスタートさせ、状況によっては数日間で活動を終える。入れ替わってJMATが活動を始め、被災地の医療が回復するまでの期間、活動する。
2011年7月に東日本大震災の被災地への派遣が終了。その後も災害関連死の防止や、医師の派遣などをミッションとするJMATⅡが活動を継続した(2016年3月21日に終了)。
◎「心のケア」を担うDPAT
自然災害、犯罪事件、航空機や列車事故。これら大規模な災害後に拡大する精神的ストレスのケアなどにあたるのが、災害派遣精神医療チーム「DPAT(Disaster PsychiatricAssistance Team)だ。
先遣隊が現場に投入されるのは発生から72時間以内。精神科医師、看護師、業務調整員を中心に、現地の要望などを踏まえてチームが編成される。
熊本地震に際しても、各県からDPATが派遣された。派遣要請や活動記録などは、災害精神保健医療情報支援システム「DMHISS(Disaster mentalhealth information supportsystem)」で円滑に共有される。
他にも、大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会(JRAT)、日本栄養士会災害支援チーム(JDA│DAT)などが、被災地支援に取り組んでいる。