弱者に寄り添う病院をめざして
―昨年10月に院長に就任されました。
2008年に病院施設をリニューアルした際に、急性期と回復期リハビリテーション、そして緩和医療を病院運営のコンセプトとしました。その方針に変化はありませんが、この間、医療政策の変更(診療報酬改定など)と外的環境の変化があったため、急性期医療を以前のままに継続していくことが難しくなりました。
それに対応するために2015年に回復期リハビリ病床を1病棟増やしています。昨年の4月には、地域包括ケア病棟も開設しました。これで、急性期病棟はHCUを含めて5病棟あったところを3病棟に縮小したことになります。
鳥取市には四つの大きな規模の病院がありますが、県立中央病院は高度急性期医療を担当し、次いで急性期を担当するのは鳥取赤十字病院です。鳥取市立病院は、地域がん診療連携拠点病院や地域医療支援病院としてがんばっていますが、ここも地域包括ケア病棟への転換や総合診療に力を入れるなどしていわばギアチェンジを図っています。
私たちの病院はそれらの病院よりずっと小さな病院ですので、当然、急性期病院としてだけで生き残ることは難しい。地域医療の機能分担という意味では、さらにもう一段階ギアチェンジする必要があるのです。
もっとも、急性期が3病棟残っていて、救急車を年間1400台ほど受け入れていますので、救急に関してあげた手を降ろすことはありません。
しかし、当院は急性期、回復期リハ、地域包括ケア、緩和の各病棟がそろっており、ある意味オールインワン的な性格も持つ病院です。そういったことを、まずは当院の基盤である組合員の方たちに知っていただいて、ぜひ利用していただきたい。他病院との連携も進めたいと思います。
本来なら、ヘルスプロモーション(健康増進、健康管理)まで手を広げたいのですがいまだ十分に着手できておらず、課題になっています。また、当院では患者さんを機械的に退院させることはなく、退院支援や生活支援までを地域包括ケア病棟で診ることができます。生協関連の在宅診療所(すえひろ生協診療所)も近くにあることで、ある種の統一感を持った診療を行うことができます。
―昨年10月21日に、最大震度6弱を記録した鳥取県中部地震が発生しました。
午後2時7分に地震が発生した後、1時間後の午後3時に生協本部と鳥取民医連で対策本部を設置しました。
ほかの医療機関とEMIS(広域災害救急医療情報システム)を使って情報を共有するなどし、翌日には中部地域の中心都市で、被害の大きかった倉吉市の「生協くらよし会館」に現地対策本部を設置し、被害状況の聞き取りなどを始めました。
県中部地域の医師会や行政も同じような動きをしていましたので、私たちは約3000人の組合員さんの被害状況を把握することを主眼に動きました。訪問件数は1000軒ほどで、電話での安否確認も行いました。
避難所からは「不安感が大きい方がいるので訪問してほしい」という要請があったため、看護師や職員が話を聞いたり、リハビリスタッフがマッサージしたりする取り組みもありました。
今回の地震で、幸い死者は出ませんでしたが、倉吉市内では3分の2くらいの家屋が被災しています。目には見えないような被害もけっこうあります。鳥取は県民性というのか、あまり主張せずに我慢する方が多いのですが、ゆっくりお話を聞いたりすると不安感について少しずつ語りだすということもありました。
訪問して安否確認を行ったものについては、それぞれ報告書を作成しており、もう少しフォローが必要な方などをリストアップしてまとめ、それをもとに11月23日にフォローアップ訪問を行いました。
被災者支援というのは生協の「弱者を助ける」という理念そのものであり、ミッションと言えると思います。災害対策マニュアルのようなきちんと整理されたものはまだありませんが、今回の支援活動について再検討しているところで、そこで得たものを可視化して次につなげていきたいと思います。
―齋藤基・前院長は、「医療を考えることは、生活を考えること」という理念を持っていらっしゃいました。
私たちが所属している全日本民主医療機関連合会は、毎年全国的な調査を実施しています。そのなかで国民健康保健(国保)の加入者の死亡事例を調査しているのですが、一昨年は約60人の方がいわゆる「手遅れ」という形で亡くなっています。この数字の背景になにがあるかというと、要するに国保の保険料が払えない、あるいは滞納などで病院を受診できなかった方がこれだけいたということなのです。
お金がなくて躊躇(ちゅうちょ)しているうちにだんだん悪化して手遅れになる。当院でも昨年1例そのような事例が報告されていますが、おそらくこれは氷山の一角で、同じような状況にある方はもっと多いと思います。
無料低額診療にも取り組んでいますが、年間で約50人の方が利用されています。さまざまなメディアで「日本国内の格差」について語られるようになりましたが、医療の現場においても、それははっきりと感じられます。
いわゆる新自由主義の価値観がまん延するうちに、社会がいわゆる「勝ち組」と「負け組」に分断されるようになりました。その延長線上に戦争法(安保法制)の成立があります。
おととしくらいに齋藤基・前院長とお酒を飲んだ時に、「戦争法は許せない」という話になったんですね。それでその年の6月から病院の前で「戦争法反対」のプラカードを持ってスタンディングを始めたんです。ただ立つだけなのですが、そのうち職員の方も一緒に立ってくれるようになって、いまも続けています。
とても小さな行動ですが、なにかが動くときというのは、案外こういった小さな行動の積み重ねだったりします。なにかを変えられるのではないか、その可能性を信じたいと思います。