子どもを支え、親を支える病院に
1966(昭和41)年に小児科医の中野博光氏が中野小児病院として立ち上げた中野こども病院。民間初の小児専門病院として実績を積み、2016年10月には創立50周年を迎えた。少子化のなか、小児内科を専門とし、大阪府の小児医療を支える同院の思いを木野稔理事長・院長に聞いた。
―民間の小児専門病院はめずらしいのでは。
国内初の小児の専門病院である国立小児病院(現国立成育医療研究センター・東京都世田谷区)が設立されたのが1965(昭和40)年。その翌年に、民間初の小児病院として当院が誕生しました。
小児医療の先進国であるイギリスでは100年以上の歴史を持つ小児病院もありますので、日本で小児医療が、あまり重要視されていなかったと言えるかもしれません。開院した中野先生は「子どものためなら何でもしよう」という思いを持ち、立ち上げ時から、24時間365日救急を受け入れていました。大学の医学部に、まだ救急医療の講座もない時代。その取り組みがいかに新しいものであったかがよくわかります。
当時から中野先生は「疾患を治すことも大事だが、心を支えることも子どもの成長にとって大事なこと」という考えを持って、子どもと親の"心身両面"を支える医療に取り組んでいました。今でこそ子どもの心の問題が注目され、小児医療でも当たり前の考えとなりつつありますが、50年前にそのような取り組みを進めた、その先見の明には驚かされます。
ただ、当時の医学界は、「難しい病気を治すのが偉い医者」という考えが主流でしたので、発熱程度の子どもを救急で診て、しかも入院で受け入れるという病院に、「そこまでして患者がほしいのか」といった心無い声があったとも聞いています。中野先生も職員も心を痛めたこともあったかもしれません。
しかし、今は少子化が進み、1人か2人の子どもを大事に育てる時代になりました。診療報酬が低く、その一方で要求されることはハードルがより高くなり、大学病院や公立病院などでさえ小児科の運営は厳しくなる一方です。
そのようななか、当院には、大阪府全域から患者さんが来院され、年間3500人以上の新入院患児を受け入れています。
50年前から当院が行っている小児医療への取り組みに対する信頼と安心が地域の中で認められていることにほかならないと思います。
―課題は。
後継者がいらっしゃらなかった中野先生が、関西医科大学に相談したことをきっかけに、私がこちらに着任。2008年に中野先生が亡くなるまでちょうど10年一緒に働きました。今、中野先生の小児医療への信念に、ようやく時代が追いついていると感じています。
しかし、社会も医療も変化が激しいものです。当院がこれからも地域に必要とされる存在であるために、2015年の新病院建設を機に、当院が目指す方向を示す三つのビジョンをつくりました。
まず、社会医療法人としての責任を果たすということ。そのためには24時間365日救急を受け入れる体制を維持します。
現在、常勤小児内科医9人で救急を受け入れているため、当直は月5回程度。決して楽ではないと思いますが、入院数の多さもあり、後期研修医にとってはまたとないトレーニングの場として、大学から医師の派遣をいただいています。
「なぜ小児外科や耳鼻科を作らないのですか」とよく聞かれます。しかし、もし小児外科を作ったら、オペなどの緊急性からみんなそちらに意識が向きます。またスタッフが診療科ごとの考えに立てば、縦割りの弊害が出ることも考えられます。
検査技師などの医療職はもちろん、受付から警備の職員まで全員に、小児内科専門なんだ、という意識で取り組んでもらいたいのです。
二つ目は、子どもの利益を考えたチーム医療を提供すること。入院中だけでなく、一般外来の中でも、子どもの発達、特に心理面を支えることに力を入れています。
そこで生かされるのが保育士、栄養士、臨床心理士などの技量。外来保育を取り入れ、外来の待ち時間を活用して保育士や臨床心理士が母親に声をかけて、子育ての心配事などを聞いたり、相談に応じたりしています。そうやって、子どもを育てる親を支えるのがわれわれの役目なのです。
虐待や貧困の問題などは氷山の一角です。子どもを取り巻く環境は複雑で、母親も孤立しインターネットの情報に振り回されがち。だからこそ病院は、母親にとって生身の人間と接し、子育ての悩みを打ち明けられる数少ない貴重な場なのです。
ですから重い疾患になる前に、軽い症状で来院してほしいですし、また入院も良い機会にしてほしいのです。そうすれば、われわれ医療職が親を支える役目も果たせるのです。
「また熱を出した」「また病気した」...。ともすれば病気は親にとってやっかいなものです。しかし、それでは病気がネガティブなものに過ぎなくなってしまいます。でも本来はそうではなく、子どもは病気を経て体も、心も成長するもの。成長のきっかけなのです。
もし、社会保障費削減のなかで、小児の風邪などへの診療報酬が削減され、親が風邪を市販薬で済ませて、病院に来る機会がなくなったらと心配です。小児医療を、大人への医療と同じように考える社会にならないことを祈っています。
―三つ目は。
地域との連携を大切にすることです。小児医療は病院だけで完結するものではなく、地域社会との連携も重要です。
しかし、現実には都会に暮らす子どもたちは「知らない人から声をかけられても話さないこと」と親や学校から言われています。子育ては、地域や社会も一緒に行うものですが、残念ながらそうなっていません。
そこで当院が旭区に提案したのが「キッズカード」。近所のお店などに協力していただき、このカードを持参するとスタンプを押してもらって、割引などの特典が受けられるのです。カードを通して、店の人も子どもに声がかけやすくなりますし、子どもも地域の大人を知ることができます。
また、地域の小児を診る開業医から患者さんの保護者に、当院の紹介カードを渡してもらう取り組みもしています。
子どもは、昼間は元気でも、夜に症状が悪化することがよくあります。24時間365日診療している当院の紹介カードをもらうだけで、親御さんはずいぶん安心するようです。開業医の先生にとっても、もしもの時には、患者さんが当院に行くという安心があるようです。「三方良し」のカードになったと思います。
―2015年に完成した新病院の特徴は。
実現まで職員と話し、細かい部分まで信念を持って造りました。住宅街にある病院ですので、周辺になじむような外観にし、好評です。
外来は、ガラス張りの円形の吹き抜けを中心に配置しましたが、子どもたちを死角なく見守ることができ、子どもたちにとっても自分がどこにいるのかが一目でわかります。当院の思いを、具体化でき、職員も誇りを持って働ける病院になったと思います。
ただ、これから当院のような病院を立ち上げることは難しいとも思います。約880万人という人口を持つ大阪府という地域で50 年の実績があるから成り立つもので、ある意味「絶滅危惧種」なのかもしれません。だからこそ、責任を持って運営し続けなければならないとの思いを強くしています。