独立行政法人国立病院機構 熊本医療センター 高橋 毅 副院長・救命救急センター長

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災害訓練の重要性を実感して

【たかはし・たけし】 熊本県立熊本高校卒業 1985 宮崎医科大学医学部卒業 熊本大学医学部代謝内科入局1992 同大学院修了 国立熊本病院循環器科 2003 同救命救急センター長 2004国立病院機構熊本医療センター救命救急部長 2010 同集中治療部長(併任) 2012同副院長

 熊本県内には3次救急医療機関として、熊本赤十字病院、済生会熊本病院、そして、国立病院機構熊本医療センターがある。中央区を中心エリアにその役割を果たす熊本医療センターが、熊本地震においてどのような対応を展開したのか。高橋毅副院長・救命救急センター長に話を聞いた。

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◎4月14日夜から翌15日

 友人と食事を終え、店を出た途端でしたが、発生直後の音と揺れはすさまじかったです。男同士でしたが恐ろしくて抱き合ったほどです。

 すぐ近くに熊本市消防局があったので、まずそこで情報を得ようと駆け込みました。情報司令課では最初は10人程度、次第に集まり最終的には30人ほどの職員で電話を受けていたのですが、次から次に電話が鳴り、対応しきれない状態でした。それでも、何とか落ち着いてきたので病院に向かいました。

 当院は、2009年に建設されましたので、震災の際には建設から6年半ほど経過していました。立地の関係で、免震ではなく耐震を施していましたが、建物自体に大きな影響はありませんでした。

 職員は約千人いますが、この夜は346人の職員が参集しました。

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①院内で受け入れ体制をとる職員たち

 当市では1998年以降、毎年10月に、「熊本市災害医療福祉訓練」が行われています。これに合わせて当院では、「震度6強の地震が発生し、100人の負傷者が搬送される」という想定で、訓練をしてきていました。

 このため、私が到着した時には、すでに職員たちはいつもの訓練通りに、ビブスを付け、受付の場所、トリアージの場所などを設け、負傷者受け入れが始まっていました。(写真❶)

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②訓練時に活用していたスタッフ配置ボードが生かされた

 災害時には、誰がどの程度参集できるかが不明なので、参集した人間を的確に配置することが先決です。当院は、これをスムーズにするためのホワイトボードを訓練時から作成していたので、配置の責任者が参集者本人が書いたネームプレートをボードに置くことで、役割分担が円滑に進みました。(写真❷)

 結局、その夜は、救急車6台、独歩の患者さん42人を受け入れ、「思っていたより少ない」という印象でした。職員は、明け方3時くらいまで活動していましたので、その多くは帰宅できず、結局一睡もできないままに朝を迎えることになりました。しかも、その日は通常の外来患者さんが普通に来院しましたので、職員は徹夜明けで仕事でした。もちろん、本震が来ることなど予想もしていませんでした。

◎4月16日、本震に遭遇して

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③入院食は1階の調理室からリレー方式で上層階の病棟へ

 16日の深夜、本震発生。午前1時29分に停電となりましたが、自家発電に切り替え、30分後には復旧しました。その1時間後の3時には災害対策本部も設置され、職員412人が病院に集まっていました。

 しかし、当時、職員の多くは徹夜明けで寝ていませんでした。職員たちの体力は限界に近づいており、そのことが一番心配でした。

 この夜は、救急車による搬送は46件、独歩は245人と前夜とは大違い。しかも、建物が損壊していた熊本市民病院など他の病院からの患者受け入れもありました。

 水道や電気も復旧しましたが、痛手だったのはエレベーターの停止。入院患者もいるのですが、調理室は1階で、病棟は5階から上の階。バケツリレー方式で、階段を使って職員が、入院食を運びましたが、なかなか大変でした。(写真❸)

 また、参集した412人の職員の多くは、実は家族を連れて避難している被災者でもありました。家の中に入るのは危険でしたし、怖かったですから、病院の駐車場に車を止めて出勤していました。

 そんな状態でしたが、この夜も院内自体は訓練通りにスムーズ。パニックになることもなく、全員淡々と仕事に取り組む様子は、日頃の訓練の賜物(たまもの)だと実感しました。

◎病診連携のありがたみ

 4月14日から4月30日までの統計を見ますと、当院は1606人の救急患者を受け入れました。総救急患者数では、震源地に近い熊本赤十字病院や、済生会熊本病院の方が多いのですが、救急車による搬送の総件数としては、当院が最も多い657件でした。

 救急車で搬送される患者の場合、多くは入院するケースです。このため、力を入れたのが、入院患者の受け入れ体制作りでした。

 当時、当院はすでに全550床が満床に近かったのですが、比較的軽症の患者さんを、地域の後方支援病院に受け入れてもらうことで、重症の患者さんを最優先に受け入れ、入院させることが可能となりました。

 この時は、地域連携室が特に頑張ってくれました。日頃からの病診連携で、多くの医療機関と顔の見える関係が構築されていたからこそ、県内68医療機関が当院からの受け入れに力を貸してくださったのだと感謝しています。おかげで、当院としては、入院をストップせず、一人も断らずに受け入れ続けられました。

◎ グループ病院の支援

 2日間徹夜続けで、職員の疲労もピークとなった時に助けてくれたのが国立病院機構グループ(143病院)の医療班でした。各病院にある医療班46班が本震後、疲弊してもうダメという時に来てくれ、本当に助かりました。職員は、「国立病院機構に勤めていて良かった」と実感したのではないでしょうか。

 また、ご存知の通り、学校や保育施設も休校となり、看護師などが子どもを預けられず、出勤できない事態になったのです。そこで急きょ院内の研修室を「二の丸キッズクラブ」と命名して開放。看護学校生、大学生がボランティアで子どもの面倒を見てくれ、本当に有り難かったです。

 職員の心のケアとしては、精神科の医師が中心になって「二の丸ストレスケアチーム」を結成。ヨガやボウリング大会などをして、みんなのメンタルを力づけてくれました。私自身、8月くらいからようやく平静を取り戻せたような気がします。

 この紙面を通して、職員、地域の医療機関、そしてグループ病院のみなさんに感謝の意を伝えたいですね。

※ビブス:ベスト状のもの。災害時の場合、患者がその役割をすぐ把握できるよう医師、看護師などの職種を明記する。

独立行政法人国立病院機構 熊本医療センター
熊本市中央区二の丸1-5
TEL.096-353-6501(代表)
http://www.nho-kumamoto.jp

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