被災地から母子ら17人受け入れ「命最優先」の思いで
―熊本地震発生時の対応を聞かせてください。
4月14日は、3日間開かれる予定になっていた大阪での日本外科学会定期学術集会が始まった日でした。
同日午後9時26分、地震発生。すぐに一報が入りました。その日のうちに帰ることができませんでしたが、病院に災害対策本部を設置。私は、翌朝の新幹線を取って、久留米に戻ってきたのです。
熊本で、こんなに大きな地震が起きるとは、まったく想定していませんでした。どんな被害が出ているのだろうと、不安でしたが、なかなか全貌がつかめない状態。しかし、15日に戻った時点では、被害もそれほど大きくなく、だいぶ落ち着いているようでした。
15日未明に当院を出発したDMAT1チーム(医師1人、看護師1人、業務調整員2人)も、倒壊の恐れがある病院から患者を搬送するなどの活動を終え、同日午後8時には帰院していました。
しかし、16日午前1時半ごろ、自宅で大きな揺れを感じました。久留米の震度は5強。熊本では震度7でした。「これはただ事ではない」と感じましたね。
熊本県内では、震源に近い基幹災害拠点病院の熊本赤十字病院、災害拠点病院の済生会熊本病院といった、普段から救急に力を入れている病院が、獅子奮迅の働きをし、多くの患者を受け入れようとがんばっていました。そこで、われわれは、福岡県の方針もあり、後方支援に回ることにしたのです。
福岡空港や久留米大学敷地内にSCU(StagingCare Unit、広域搬送拠点臨時医療施設)を設置するため、当院のDMATが出動。当院敷地内にも、SCUを設置しました。
―被災地からの患者受け入れもしたそうですね。
熊本市民病院は、総合周産期母子医療センターで、高リスクの妊産婦や高度医療を必要とする新生児の最後の砦(とりで)の役割を担っていました。しかし、被災によって、患者さんを移さなくてはならなくなった。同病院の産科・婦人科は、久留米大学の産科婦人科学教室から医師が派遣されていました。そのため、久留米大学に母子受け入れの要請があり、当院も協力することになったのです。
とにかく「命を最優先に」という思いでした。結局、そのほかの診療科にも各方面から依頼があり、4月16日から18日までの間に、産科7人、新生児科4人など、計17人の患者を受け入れました。
―病院機能を維持し、受け入れもしながら、被災地に職員を派遣。苦労もあったのでは。
もともと災害医療への関心が高く、熱意がある職員が多いため、今回もそれほど大きな困難はありませんでした。
当院は災害拠点病院です。有事の際に、しっかりと訓練した隊員による医療支援を、継続してできるよう、3隊のDMATを有しています。
さらに、海外で大災害が起きたときにも医療者を派遣しています。現地で医療活動をするJMTDR(Japan Medical Teamfor Disaster Relief、国際緊急援助隊医療チーム)の訓練を受けた職員は、医師、看護師、事務職員含めて50人ほどいます。
大災害が起きることを望んでいるわけではありませんが、万が一、大きな災害があった場合にもきちんとした協力ができるよう、常に考えておくことが求められています。
5年前の東日本大震災時には、公民館に仮設の診療所を構えて、診察や投薬を100日間程度しました。その際も、相当な人数の職員が出てくれました。
―今回の地震で、何か収穫や手応えを感じたことはありましたか。
2012年11月に竣工したタワー棟(地域医療支援棟)に損害がなかったことが大きな収穫です。この棟は免震構造で、地上19階、地下2階。万が一、大地震が発生した場合には、ここを拠点とし、災害医療に集中する計画で、屋上には大型ヘリコプターが発着できるヘリポートを備え、直下階の18階には緊急患者洗浄スペースを設置。救命救急センター、手術室などもあります。
耐震構造だった建物は壁にヒビが入るなどの影響が出る中、タワー棟に被害がないということは、建設前の想定通り、大規模地震時にも使えそうだということです。今回の震災後、調べてみると、前後左右に、3.5cm揺れながら、衝撃を吸収していました。
―災害拠点病院としての備えは。
久留米市には、当院と久留米大学病院の2カ所の災害拠点病院があります。この地域で何か災害が起きたときには、地域の開業の先生方からの患者さんの紹介などもあるでしょうし、久留米大学病院と協力することも重要になるでしょう。
私は外科医ですが、救急もやってきました。DMAT隊員の資格もあります。だからこそ、思うのは、災害医療は、医師、看護師、薬剤師、それぞれがきちんとしたトレーニングを受けていないと二次災害を起こす、ということ。例えば、災害現場に白衣で駆けつけて人命救助するというのも、気持ちは分かりますが、やってはならないことです。
きちんとした訓練を受け、装備をした人が、災害現場に向かえるよう、災害拠点病院として、今後も備えておく必要があると感じています。