あの日から半年隣県が見た熊本地震
初めての経験を前に
熊本地震での当院の役割は三つ。一つ目は福岡県の基幹災害拠点病院として、県下全域の災害医療の中核を担うこと。二つ目はDMAT(災害派遣医療チーム)指定医療機関として、DMATの派遣や指揮をする役割。そして三つ目は、国立病院機構(NHO)九州グループの基幹病院としてNHO28病院の支援活動を統括する役割です。
今回の地震は、福岡の隣県である熊本で発生し、NHO九州グループ内の病院も複数被災。初めての経験が多々あり、当院やNHO九州グループ職員も、一週間近く不眠不休で活動しました。
災害拠点病院として
4月14日夜の「前震」直後に災害対策本部を設置しました。救命救急担当部長を中心に、院内の被災状況を確認。DMATと初期初動医療班を編成し、SCU(航空搬送拠点臨時医療施設)を立ち上げるなど、災害に係る一連の動きを総合的に調整判断しました。
特にSCU活動は、当院にとって初めての経験でした。被災した病院に入院している患者など多くの傷病者が空路で福岡に入ることを予想し、福岡空港などにSCUを設置。仮説ベッドや医療機器を用意し、受け入れの準備を整えました。
DMATの活動
「前震」発生が4月14日の午後9時26分。当院のDMATメンバー(医師2人、看護師3人、調整員1人)は同9時30分には病院に集合し、15日午前0時28分、熊本に向けて出発しました。
午前9時30分から活動開始。現地は、落ち着いており軽症処置が中心だったそうです。「災害は局地的でほぼ終息」との見解が出たため、同日深夜には福岡への帰路に。しかし16日午前1時25分に「本震」が発生。その後、もう1隊のDMATが出動。さらに福岡県DMAT本部が当院に設置されました。
NHO九州グループを率いて
私は発災後、ほぼNHO九州グループの対策本部に詰めていました。当院の災害備蓄や近隣の福岡、佐賀、長崎の病院から物資を集めてNHOの被災4病院に運搬。さらにNHOの物流拠点をNHO大牟田病院(福岡県大牟田市)に設置し、物資を集め、そこから飲料水や食料などを何十トンと送りました。
NHO東京本部と、われわれのNHO九州グループ、さらにNHO熊本医療センターをテレビ会議システムでつなぎ、情報共有も図りました。 またNHOの病院から出動した医療班(全国24病院から26医療班)を統括。当院からも2チームが出て、NHO熊本医療センターでのトリアージや熊本市民病院の患者搬送等、DMATに近い活動をしました。
苦慮した「情報」と「指揮命令系統」
今回は、"情報"に非常に苦労しました。"情報"が入ってこない。正しい情報かどうかもわからない。必要な物資も日々刻々と変化します。とにかく、現地に行った者が情報を集めながら対応するという状況でしたが、用意した物資が「もう不要です」ということもありました。
また、いろいろな人から、さまざまな要請が来る中での判断に苦慮しました。例えば「厚労省の〇〇です」という電話が来ても、それが政府方針としての依頼なのか、それともある担当課からの依頼なのか、その背景がわからないのです。その中で優先順位などを判断していくのが、本当に難しかったですね。
それらの原因は、統一された指揮命令系統がないこと。でも、それを求めるのは、なかなか困難です。指揮命令系統を一つにすると、情報が出てくるのが遅くなり、間に合わないという事態になるでしょう。一見無駄な動きのようでも、独自に情報を収集し、判断し、行動するということが、災害時には、やっぱり必要なのだと思います。
熊本県では、基幹となって活動するべき病院が崩壊してしまいました。当院も、万が一のときにはどうなるかわからない。津波が来るかもしれない、孤立するかもしれない、陥没するかもしれない...。どんな状況でも臨機応変に動けるよう、予備の予備の計画まで準備しておく必要があるでしょう。
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