自分の家族に受けさせたくなる"眞療"を提供したい
1918(大正7)年に誕生し、間もなく100周年を迎える富田浜病院。整形外科部門を柱に、地域の基幹病院として発展してきた同院の院長に今年4月、河野稔文医師が就任した。意気込みなどについて河野院長に聞いた。
―歴史ある病院ですね。
当院の初代理事長である石田誠医師は、結核専門病院として富田浜病院を設立。風光明媚な"富田浜"にほど近い療養所として、多くの患者が療養に訪れたそうです。
しかし、結核医療の向上とともに経営は悪化。石田理事長の妻で看護師だったマサヲ先生は、当時東京で病院を経営していた私の祖父・稔に運営を依頼しました。
それを受け、再建に手を尽くしたのは、整形外科医だった私の父・稔彦です。結核病院のイメージを払拭(ふっしょく)し、整形外科、予防医学を核に、地域の基幹病院として運営してきました。これまで、私は整形外科医として、臨床には関わっていましたが、院長という立場は責任の重さが違います。職員と共に、地域の皆さんの期待に応えていきたいと思っています。
―病院の特徴は。
当院の特徴は、整形外科が核の専門病院として、地域に密着しながら特化してきたことです。祖父、父、そして私も整形外科が専門で、現在専門医は4人います。
高齢化に伴って整形外科疾患は増加しています。そのような状況の中、脊椎、関節の手術などを中心に、年間約500例の手術を行っています。
また、整形外科の新美塁医長を中心に骨粗しょう症の治療にも力を入れています。2010年から、治療薬「フォルテオ」の使用を開始しました。新美医長は、使用による治療効果などをまとめて国際的な学会でも発表するなど、研究面でも貢献しています。
高齢者のリハビリテーションの需要も増加していますので、2008年には、地域ではいちはやく回復期リハビリ病棟を開設。翌年からは、休日のリハビリテーションを開始し、「365日リハ」を提供しています。理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、そして、柔道整復士も含めるとリハスタッフが70人ほどいますので、充実したリハビリを提供できています。
地域のニーズに応えるために、老人保健福祉施設、特別養護老人ホームなど新たな施設もつくりました。
予防医学、急性期、回復期、慢性期そして介護まで同一施設でできるようなケアミックス型の病院として、グループ内トータルで、医療・介護を提供できることが、われわれの強みだと考えています。
院長就任のあいさつでも、大病院にはできないこと、わたしたちにしかできないことを考えていこうと訴えました。
―介護に関わる人材の育成に注力しています。
1994年に、看護業務のなかの介護業務を分離し、"メディカル・サービス(МS)課(現在は部に昇格)"として独立させました。組織の立ち上げに当たっては、看護師の鈴木廣子顧問を中心に組織体制、グループの介護の理念、研修、業務マニュアルなどを作成。看護師は看護業務に集中できるようにし、介護業務には新規職員を採用、育成。現在、当グループの職員は約500人いますが、MS部は160人が所属する最大の部門です。
新人看護師の教育で実践されている「プリセプター方式」(新人と先輩がペアを組んでマンツーマンで業務を指導する)を導入するなど、手厚い教育制度を取り入れています。これによって、介護部門の人材の定着につながっています。
また、四日市市社会福祉協議会の委託を受けて「浜っこ弁当」の配食サービスも行っています。おいしい食事を提供するため、栄養士など9人が当グループの厨房で、1日に朝と夕で80食、年間約3万食 を調理します。在宅の高齢者の安否確認をする意味もあり、地域の皆さんに好評です。
―課題は。
地域の開業医の先生方との連携を強化したいと考え、昨年春には「地域連携推進部会」を立ち上げました。長所をアピールできるような「地域連携マニュアル」も作成し、私も30院ほど訪問しました。脊椎圧迫骨折治療やMISt(最小侵襲脊椎安定術)などの手術にも積極的に取り組んでいるのですが、話してみるとあまり知られておらず、先生方から「手術ができるところがなくて困っていました」と、感謝されることもありました。
「自分の家族が受けたいような治療をすることが大事」という思いを、祖父は「眞療(しんりょう)」という言葉で残してくれました。祖父が掲げた「トータル・ヒューマン・ヘルスケア・ユートピア」を作りたいという夢は、私に引き継がれました。その理想に向かって自分の役目を果たしていきたいと思います。