いのちを伴奏する「ケア」のかたち【鐘ケ江寿美子】
長寿社会の現在、がん、心不全、認知症、その他疾病や障がいによりケアを必要とする人が急増している。一方、家族介護者、医療や介護関係者の燃え尽き症候群、ひいては介護殺人などが社会問題として取り上げられている。ケアを必要とする人、その人に寄り添う人、皆が「三方よし」で和やかに暮らすためには、「ケア」のかたち、ケアに参加する当事者の役割を見直す必要があるのではないだろうか。
米沢慧氏は老齢期のケアの構図として「ファミリー・トライアングル」という考え方を提唱している。トライアングルとは、患者の〈いのち〉の物語に医師や看護師等が参加するかたちである。
いのちの物語に参加する当事者3人、つまり患者(A)―家族(B)―専門家(C)が三角形・鼎のかたちになり、専門家は3番目の存在・役割として加わる=図。
医療や介護の専門家がリードするのでも、患者中心の態勢でもなく、三者はトライアングルを組み、〈いのち〉の共鳴を目指す。
3者の関係性=三角形の形は変化するが、三角形の内角の和は常に180度であり、その構造は数学的にも安定していると米沢氏は説明する。
コーチングとアイ・コンタクトができる関係もトライアングルに収まっているという。ファミリー・トライアングルの詳細は米沢氏の著『「還りのいのち」を支える』(主婦の友社 2002年)に自らの体験とともに綴られている。
以下、ファミリー・トライアングルの例である。
米沢氏は在宅医である山崎章郎氏、二ノ坂保喜氏との会談の中で、ホスピス医の仕事は「逝(い)く人と看取る家族の間に立つ3番目の役割」で意見が一致した。在宅医は「ときに支え、ときに寄り添い、共にある」存在で、まさにトライアングルの3番目の役割を果たしている。
ホスピスケアでは患者―看護師、あるいは患者―セラピストなどの2者の関係だけでは患者の話を傾聴するだけにとどまり、ケアの発展が難しい。3人目として家族、ボランティア、他専門職が加わることで、互いに支えあい、「和」が生まれ、〈いのち〉が響きあう。そしてトライアングルは重なり、多角形として繋がりを強化する。
私は在宅医であるが、米沢氏の「ファミリー・トライアングル」は日常診療だけではなく、自分の母親(80歳)の介護のよりどころとなっている。
母は胸椎圧迫骨折後、レビー小体型認知症による幻覚、妄想が出現した。私も一時は介護による心身の疲労と母の変容に対する悲哀で心が折れかけたが、米沢氏より家族(B)と専門家=医師(C)を同一人が便宜的につかいわけることは難しく、私(筆者)は娘の立場にたち、医師の役割を他の人にゆだねる、「『ぼけてもいいよ』というポジションがとれたらいいですよ」とアドバイスをいただいた。
その後は母の疾患は主治医に、介護のマネジメントはケアマネジャーにゆだねている。母の口癖、「娘はあてにならない」も私の心を軽くしてくれる。
患者の〈いのち〉の物語に伴奏するとき、患者や家族を「支える」と気負うのではなく、「共に存在を認め、配慮(尊敬)し、感じいる」3番目として、謙虚な気持ちでかかわる方が良いのではないだろうか。