体と心と魂への全人医療《 患者さんに最期まで希望を 》
「からだとこころとたましいが一体である人間(全人)にキリストの愛をもって仕える医療」との理念がある。周産期から急性期、そして終末期医療まで、全人医療の観点から話してもらった。
当院には①急性期・救急救命医療②総合的がん診療③周産期④緩和医療⑤人間ドック・健診の五つの柱があります。日本が荒れ果てた戦後の時期、医療に恵まれないこの地に、米国の長老教会によって建てられた、日本では珍しい宗教法人の病院です。
人が生まれ、病気になって救急にかかり、手術して自宅に帰る。そのすべてに関われるようにと、われわれグループは考えてやってきました。
周産期を始めた1970年代から、難しいケースも含めてたくさんの出産を扱ってきました。当院で生まれた方は京阪神にずいぶんいらっしゃり、今でも毎年、1300人くらいのお産があります。
私が医者になった1980(昭和55)年ごろは、薬か手術かという話ばかりで、心のケアには触れられず、魂については言葉にするのもはばかられる時代でした。
1987年にこの病院に来ると、院内のあちこちの壁に「からだとこころとたましいが一体である人間(全人)にキリストの愛をもって仕える医療」という理念が掲げられ、1955(昭和30)年にフランク・A・ブラウン初代院長が開設して以来、脈々と受け継がれていることに驚きました。当時の私は、医療は高度先進医療と技術が合わさったものだという感覚だけだったのです。
すでに1973年には柏木哲夫・現理事長が、末期がん患者さんへのチームアプローチを日本で初めて開始し、亡くなられる方への心と魂へのケアも始まっていました。それが1984年のホスピス病棟新設につながり、2012年にはアジア初の子どもホスピスも開設されています。
死を迎えるときには、心ではなく魂のほうがむき出しになってきます。どんな人も孤独の中で亡くなりますからね。だから、本来なら亡くなるすべての人の魂をケアすることが望ましい。当院がそのことに向き合ってこられたのはホスピスの歴史があるからです。
長く医療に関わっているとわかることですが、医療が「治す行為」だけであれば、人間の死亡率は100%ですから、医者のやっていることはすべて負けなんですね。
そこで、その先に"希望"を見いだすことを医者自身がわかっていなければなりません。心と魂の違いや、生の意味、死の意義、共感などを知っていなければ、患者さんに寄り添う名医にはなれないですね。
「人は生きたように死ぬ」という言葉があります。誰もが死に向かって一日一日進んでいますが、懸命に生きてきた人は、いい死を迎えられると思います。安らかに逝かれる方は、何かの希望を必ず持っておられます。
たとえ寝たきりでも、自分の死が何かにつながるという希望を持ち、生きてきたことのありがたみを感じることは、自分らしい最期を迎えるために大切なことです。
高齢化が進む社会の中で国は、医療費が少なくて済む在宅死を求めています。これは私たちから見たら、非常にいいことで、訪問診療医や訪問看護師に見守られながら本当に満足のいく、素晴らしい旅立ちができるようになります。これからあちこちでそのようなことが起こってくるでしょう。それに対して当院と同じ宗教法人を母体とする「よどきり医療と介護のまちづくり株式会社」では「かんご庵」という、"もうひとつの我が家"として安心して過ごせるホスピス型賃貸住宅をつくりました。
「かんご庵」には看護師が常駐し、訪問介護の事務所と連携していますから、医療依存度の高い方や退院の際の在宅調整、また介護者の体調不良時などの一時的な避難場所としても利用していただけます。その際、主治医は近隣で開業されている先生方になります。
急性期が終わったあと回復期をどうするかについて、大阪は急性期病院が多すぎるために、後方病院との連携が取りにくいことがありますから、自前でいろんな施設を持ったほうがいいのではとの考えもありますし、地域の病院と連携しながら地域で完結するという選択もあります。
若い医療者に望みたいのは、まずは医学をしっかりと学ぶこと。同時に、読書などで、世の中にはさまざまな人生があることを知っておいてほしい。そして患者さんを通じて、病気だけでなく、最初は稚拙かもしれませんが、心と魂に接するように心がけてもらえたらと思います。
一直線に医学の最先端をやる人も必要です。しかし最期を迎えた患者さんに一対一で接することのできる医者のほうが大切だと私自身は感じているんです。