基幹病院の機能を維持しながら"がん領域"のレベルアップを
―4月に院長就任。その経緯と思いは。
就任のきっかけは先輩から「佐世保共済病院を立て直してほしい」と声をかけていただいたことです。
私は、九州がんセンター(福岡市)や四国がんセンター(愛媛県松山市)といったがん専門病院が長かったため、「総合病院の院長が自分に務まるのだろうか?」という不安がなかったわけではありません。しかし、先輩の熱い思いを聞き、また佐世保市がバックアップしてくださるというお話もあって、決断しました。
昨年春に副院長として赴任、1年かけて病院や地域の現状を見てきました。その上で、がん領域でのこれまでの経験を生かし、この病院、さらには佐世保市及び県北医療圏におけるがん医療のレベルアップを図る、それが私のビジョンです。
―この病院の地域での役割は。
市内には、佐世保市総合医療センター、佐世保中央病院、長崎労災病院、そして当院と、四つの基幹病院があり、この4病院で佐世保市と平戸市や北松浦郡といった県北医療圏を支えています。基幹病院の機能を維持することが必要ですし、市からもそこを期待されています。
当院の設立は1911(明治44)年にまでさかのぼり、佐世保海軍工廠(しょう)職工共済会病院として開設されてから100年以上が過ぎた歴史ある病院です。こういった創立からの長い歴史が関係しているのでしょうか、この病院に来て、「市民が共済病院を慕ってくれている」ということを、肌身で感じています。ですから、それに応えなければならないと思っています。
ただ、課題はいろいろとあります。医師の集約化(大都市に偏在)に伴う医師不足は大きな問題です。幸いにも最近は少しずつ増えてはいますが、さらなる増員につなげるべく、九州大学(福岡市)をはじめ長崎大学(長崎市)、佐賀大学(佐賀市)、久留米大学(福岡県久留米市)、福岡大学(福岡市)といった近隣大学に働きかけています。
また、この春の診療報酬改定で7対1病床の施設基準が厳しくなりました。当院では「7対1を死守する」ということで院内のコンセンサスを得ています。看護師、薬剤師、ソーシャルワーカーなど、メディカルスタッフの志も高く、同じ方向を目指してがんばってくれています。前向きに支えてくれる職員と一緒に、今後も急性期を担う病院としての役割を果たしていくつもりです。
―今後、力を入れて行く取り組みは何でしょう?
四つの基幹病院それぞれの役割分担をはっきりさせることが必要です。私は腫瘍内科医として、長年、膵がんの治療に心血を注いできました。この経験を生かし、今後は共済病院をがん診療の拠点にしたいと考えています。「地域がん診療連携拠点病院」ではないのですが、今年からがんに関する最新情報を提供する市民公開講座を開始しました。今後、定期的に開催していく予定です。
―医師としての歩みを聞かせてください。
私は九州大学の第三内科・内分泌研究室の出身です。1982(昭和57)年のカナダ留学までは内分泌領域の研究をしていました。
ところが、留学から戻り、九州がんセンターに赴任してからは、内分泌とは対極にあるがんに特化した研究が求められるようになりました。それが転機でしたね。私が所属した臨床研究部の部長は、第三内科の大先輩で膵がんが専門の安部宗顕先生で、この安部先生の下で膵がんの診療を垣間見ながら、研究を主体に診療もさせていただいていました。
ただ、私は研究に軸足を置きながらも「いつかは臨床に戻りたい」と思っていました。そんなとき、四国がんセンターから声をかけていただきました。四国に移ってからは、臨床研究センター長として治験や臨床試験の旗振り役をしながら、診療では膵がんの化学療法を担当し、四国中から集まった多くの膵がん患者さんの治療に心血を注いできたのです。
―職員への願いを。
残念なのは、学会発表や論文執筆に魅力を感じている医師が多いはずであるにも関わらず、診療に追われて、それがままならない状況であること。医師の数が少ないことが原因の一つです。でも、あえて言いたいのです。「リサーチマインドを持って仕事をしてください」と。
今後、医師の確保と並行して若い人をフォローしていけるシステムを作りたいと思います。そして、論文発表や学会発表にもつながる治験・臨床試験をこの病院でもできるようにして、その魅力を感じてもらえるようにしたいと考えています。