中山間地の地域医療を守る
―2018年春の開院に向けて新病院建設工事も着工しました。
この病院は、1967(昭和42)年に建てられたので耐震性の問題がありました。地域の医療を守るためにも新病院への建て替えは不可欠でした。ここへ赴任して30年になりますが、15年ほど前から、「患者さんのために少しでも良い療養環境を提供したい」と思い続けてきたので、やっと願いが叶うという気持ちです。
新病院の病床数は281床。1床あたりのスペースを広めに確保したり、プライバシーに配慮して個室を増床するなど、患者さん目線の設計にこだわりました。
雲南市の人口は10年前ぐらいから年間約500人のペースで減少しているため、新築の話が持ち上がった際には、「人口減少が目に見えているのに、なぜ病床数を減らさないのか」という意見も多かった。しかし、ここ数年の病床稼働率はほぼ90%という状態が続いています。このタイミングでただちに病院の規模を縮小すれば、いわゆる医療、介護難民の問題が生じます。自治体病院としての使命は政策医療ですので、当面はこの病床数を維持したいと考えています。ただ、将来的には病床数を減らす方向で、地域の方にいかに質の高い医療を提供するかを考えていかなければならないでしょうね。それに対応可能なように、一部は旧病棟を使う設計にしました。
超高齢化社会では、一人でいくつもの病気を抱えた高齢者が増えてくるでしょう。そこで必要とされる、総合診療・訪問診療の分野を充実させながら、いわゆる「交通弱者」、「社会的弱者」を助けられる病院であり続けたい。予防・医療・介護の3本の柱をさらに強化し、地域の医療を支えていきたいと思います。
―2011年に市営の病院になったのですね。
以前、当院は一市二町(雲南市・奥出雲町・飯南町)で構成された公立雲南総合病院でした。しかし、2004年に始まった新医師臨床研修制度によって、急激な医師不足に直面してしまった。多いときは35人以上いた医師が、2007年には17人にまで減ってしまったのです。経営状況も悪化し、病院存続の危機に直面しました。そんな中、速水雄一・雲南市長が、「雲南市には病院が絶対に必要である。市立病院化し、雲南市単独で運営する」と力強い指示のもとで市立病院化に向けて進み始めたのです。
経営悪化によって、市民の間でも様々な議論がありましたが、病院存続の必要性、重要性を理解していただき「がんばれ雲南病院」「雲南病院を支える会」といった支援組織もできました。そのような方々と膝を交えての話し合いもしながら、病院の在り方、今後の方向性を考えていきました。年に数回ですが会合を持ちながら病院運営の参考としています。
2011年に雲南市が経営母体となってからは、雲南市の支援もありますが、経営状況は改善され、最近の4年間は連続しての黒字経営ができました。
こんなに古い病院にもかかわらず、90%以上の病床稼働率を維持できている。この病院を大切に思って利用してくださっている地域の方々に対する感謝の気持ちでいっぱいです。
―医師不足解消に向けた取り組みについては。
大きく三つあります。
一つ目は、医学部地域枠推薦制度(地域医療を担う人材育成を目的に設けられた制度)です。この制度で島根大学に入学した学生たちと、年に一度食事をしながら話をする機会がありますが、どの学生もみな意欲的で期待が持てます。彼らには、いずれはこの雲南市で医者として活躍してくれることを願っています。
二つ目は、当院の保健師の矢田明子さんが代表理事を務めている特定非営利活動法人・おっちラボの活動です。彼女が中心となって、雲南市の地域再生・地域医療活性化のために「雲南若者会議」を実施するなど、若者に対してさまざまなアプローチをしています。
彼らは全国にネットワークを持っていて、雲南市の魅力を全国に紹介してくれています。その縁で沖縄県の西表島と南大東島から2人の医師がこの地域の医療に興味を持ち、赴任してくれました。地域医療に大変熱い気持ちを持った素晴らしい先生方です。
三つ目は当院の大谷院長が2009年に開設した地域医療人育成センターです。同センターでは、研修医の指導、医学生・看護学生の実習、高校生・中学生の医療現場体験などを実施し、地域に必要とされる人材の育成に取り組んでいます。
現在、学生たちを受け入れている地域医療実習では、農家に出かけて行って、野菜を作っているのを見たり、収穫を手伝ったり、野菜をもらったりしています。こうした経験を通して、地域の医療に求められることを肌で感じ、心で感じてもらうことが狙いです。
これからは、地域の本当の状況を理解した上で医療を行う若い医師の育成に努めていきたいと思っています。
―整形外科医になったきっかけは何でしょう。
もともとは高校2年までは工学部に進学しようと思っていたのに、親しい友人に影響されて、これといった動機や信念もないまま医学部に進みました。しかし、医療の世界に飛び込んでみて気づいたのは、人体のしくみの面白さです。医学に対する興味ががぜん湧いてきました。とにかくいろんなことが楽しかった。勉強は嫌いでしたけど(笑)。
私は田舎育ちなので、幼いころから近所のおじいちゃん、おばあちゃんが、「あっちが痛い」「こっちが痛い」といって農作業をしている姿を見てきました。子どもながらに「痛みが少しでも楽になればいいなあ」と考えていました。今思えば、それが整形外科医の道を選んだ理由かもしれませんね。もし、工学部に進んでいたら、今ごろ農作業用の機械を作っていたかもしれません。
今、若い人に伝えたいのは、「医者というのは、何十年たっても一人前にならない。だから面白い」ということ。この歳になっても、まだわからない疾患があるし、それだけ難しい学問だからこそ興味も尽きないのです。
それから、早いうちから自分の専門を決めてしまわずに、何にでも好奇心を持って、幅広く学んでほしいと思います。
病気というのは、パーツだけみているととんでもない勘違いをすることもあります。一見関係ないと思えることも、積極的にやってみることで、自分の専門分野に関する知識・技術も深まるものです。
「自分の専門はこれだから」と思考の壁をつくり、他のものは一切診ないという医者には、ならないでほしいですね。
雲南市立病院
島根県雲南市大東町飯田96番地1
☎0854・43・2390(代表)
http://unnan-hp.jp/