地域に必要とされる医療の提供を
呉記念病院は1954(昭和29)年に呉市阿賀町で開業。2000年に現在の呉市郷原町に新築移転した。
栗原誠院長に病院の特徴や地域との関わりについて話を聞いた。
ー病院の特徴は。
開業以来、一貫して亜急性期以降の慢性期医療に取り組んできました。呉は高齢化率が全国トップクラスです。高齢化が進む地域を支えるためには何が必要かを常に考えていかなければなりません。
当院では回復期リハビリテーション病棟( 50床)、医療療養病床( 50床)、介護療養型医療施設( 50床)を備え、呉地域の医療に貢献してきたとの自負があります。
移転前の病院は狭く療養環境としては不適であり、「このままでは最適な医療が提供できない」との思いから、この地に新築移転しました。今の病院は、国が指定する基準を超える広さで設計しており、病室は介護施設並みの広さで、余裕のある個人スペースを確保しています。
2006年には回復期リハビリテーション病棟を建てました。当時、呉地域には回復期のリハビリテーションを行う施設がなく、患者さんはリハビリテーションを受けるために広島市内の病院へ転院し治療を受けていました。
先代院長である私の父のころより、当法人は「地域のために何が必要か」を常に考え運営しています。回復期のリハビリテーションに関して、地域の患者さんのために何としてでも提供したいとの一心で病棟を完成させたのを覚えています。
ー歯科がありますね。
人間が人間らしく生活するためには、食べ物を口から摂(と)ることがとても重要です。たとえ食べられなくてもケアを含めた口腔内の環境の維持が必要なのですが、そこに目を向けていない病院が多いのが現状です。
当院では「口腔内衛生の維持」「食べること」に力を入れています。
最近は少なくなりましたが、以前は急性期病院から受け入れた患者さんの口内が、非常に不衛生であり、十分な口腔管理とケアが出来ていない状態の患者さんが多くおられました。当院では病棟でも、専門家としての歯科の指導を得ながら患者さんへの対応を行っています。
また近年、嚥下(えんげ)の重要性が認知されてきています。当院ではNST(栄養サポートチーム)を組織し、患者さんに「食べる」という楽しみを再びもってもらえるよう、多職種によるチーム医療にて取り組んでいます。食事には嚥下だけではなく咀嚼(そしゃく)も重要です。この点は、専門家である歯科とともにチームを組んで取り組んでいける当院の強みだと思います。
専門職の連携により多くの患者さんに食の楽しみを再び味わってもらうことができています。
ー地域連携について。
当院は急性期病院との前方連携と当院から地域へとお返しする後方連携を担っています。
呉には中国労災病院、呉医療センター、呉共済病院という3つの大規模な急性期病院があり、当院の入院患者さんは、これらの病院から紹介された人がほとんどです。
呉地域における脳卒中や大腿骨頚部骨折などの地域医療連携パスについては作成に深く関与しています。特に中国労災病院リハビリテーション科の豊田章宏先生の声かけによって始まった脳卒中パスについては、作成開始時から携わっています。
こうした取り組みの結果、現在では病院間の患者さんの情報伝達がスピーディーに行えるようになり、円滑な連携が可能になりました。
後方連携については、当院を退院する患者さん、特に在宅医療に移行する場合、地域のケアマネージャーなどを集めた会議を開いていますし、自宅に戻る時には、患者さんの家に赴き、指導も行います。慢性期医療は医療と在宅・介護をつなぐ役割も担っており、これからも地域連携に力を入れていかなければなりません。
当院は以前より連携の重要性を認識しており、呉地域の私立病院で初めて医療相談員という地域連携に携わる職種を導入しました。
今でこそ、どこの病院にも地域連携室がありますが、当時そこに着目した病院は少なかったと思います。振り返ってみると父には先を見通す目が備わっていたのかなと思いますね。
―今後の目標は。
重症で自宅に帰れない人は、医療型と介護型の療養型病棟で診ています。常に点滴、酸素が必要な重症患者さんや、食事が食べられず、経管栄養が必要な人が安心して暮らせる場を提供したいとの思いで、これまで運営してきました。
われわれの医療を必要とする人が多くいるということは、裏返せば供給する病院が不足しているということです。今後の高齢化社会は避けられず、医療を必要とする患者さんは増加していくでしょう。良質な慢性期医療がなければ、地域医療を支えていくことはできません。
大変なことも数多くありますが、当院の強みであるチーム力を生かし、一致団結して地域医療に取り組んでいくことが私たちの使命だと考えています。