内視鏡と緩和ケアの2 本柱で
国吉病院は、国吉宣俊現理事長の祖父である国吉清次氏が1914(大正3)年に開業。2014年に100周年を迎えた。
病院の特徴や今後の展望について、話を聞いた。
●風通しの良い病院に
当院は、今でこそ町の中心部にありますが、ひと昔前は、周辺に田畑が広がっていました。近くには高知市民病院がありましたが、統廃合で高知医療センターとなり、高知市池に移転してしまいました。その穴を補う役割を担うのが当院です。
200床未満と比較的中規模の病院なので、患者さんが気軽に立ち寄れるような、風通しの良い病院でありたいと思っています。
●口コミで評判に
大学では内視鏡中心に仕事をしており、こちらに来て2年後の1996年に、内視鏡センターを開設しました。
当時は、大学でやっていたことが、そのままこの地域でできるのか、まったく想像ができませんでした。実際に医療に携わるうちに、自分がこれまでやってきた内視鏡治療を、この地域の人たちに提供したいとの気持ちが日に日に強くなり、内視鏡センターの開設に至りました。
大学病院だと患者さんは黙っていても来てくれますが、地域の民間病院には特色がないと来てくれません。「この病院の特徴はこれだ」と認識されることが重要です。いかに特化するかを考えたとき、自然と内視鏡に目が向きました。
当内視鏡センターの特徴は、高画質で安全、かつ鎮静剤投与下で苦痛のない内視鏡検査を行っているところです。
開設当時は内視鏡検査件数が年間150例ほどしかありませんでしたが、右肩上がりに増えて現在では年間約4000例の検査を行っています。センター開設当時に比べると、ハード面もソフト面も飛躍的に進化しました。
内視鏡専門医もセンター設立当初は私だけでしたが、現在は消化器外科部長の近森文夫先生、消化器内科部長の岡本博司先生の3人体制になりました。
当院くらいの規模の病院で、年間検査数4000例は、かなり多いと思います。なぜこれほどまでに多いのか。それは「国吉病院に来ると確実な診断と治療ができる」との口コミが広がっていった結果だと思います。
同じ検査なら楽に受けられる内視鏡の方がいいと思うのは当然ではないでしょうか。
当センターでは、眠っている間に検査できる鎮静化内視鏡検査を行っています。同様の検査を行う施設は多いですが、起きた後に鎮静が残らないようにしなければなりません。鎮静時間が長いと車で自宅に帰れません。高知県の場合は車でないと病院に来られないことが多いので、とりわけ重要なのです。
●末期がんの患者さんに救いの手を
先代院長である父は、すい臓がんで亡くなりました。大腸がん、脳梗塞も合併し、亡くなる前の1カ月間は吐血しては輸血するの繰り返しで、日に日に体が弱っていくのがわかりました。なおかつ鼻からチューブを入れられたり、点滴が抜けないように抑制され、苦しかったろうと思います。告知をしていませんでしたが、本人は、おそらくがんだと気づいていたと思います。
父の死をきっかけに緩和ケア病棟を建てました。現在の稼働率は90%弱なので、もうひと踏ん張りですね。
当院では消化器がんを診る機会が多く、中には末期の方もいらっしゃいます。そういう人たちに救いの手を差し伸べることも大切な役割だと考えています。
国民の2人に1人ががんになり、3人に1人が亡くなってしまう時代です。消化器をメインにやってきた当院が、これから何に特化していくかを考えたとき、内視鏡センター、緩和ケア病棟の設立は必然だったのかもしれません。
●地域に必要な医療を展開していく
1年1年の積み重ねだと思うので地道に地域で必要とされることをやっていくしかないと思っています。私は現在59歳で、来年、還暦を迎えます。精一杯働いたとしても、あと10年くらいかなと考えています。10年では、多くのことはできないかもしれませんが、今の状況で少しずつ前進するしかありませんね。
数多くの施設を持って多角経営をすることもできるかもしれませんが、私は商売上手ではありません。今の体制を維持して、これからも地域に必要な医療を展開していくつもりです。
●趣味はマラソン
35歳の時、今より体重が10kg以上重く、いわゆるメタボ体形でした。息子の幼稚園の運動会で走った時に転びそうになり、「これはまずいぞ」と思ってマラソンを始めました。
マラソンを始めて2年後のことです。高知でハーフの健康マラソンが開催されました。2年走っていたので、そこそこ自信があったのですが、15km地点にさしかかったときに白髪の老人から「がんばれよ」と言われて追い抜かれました。この一言に火がついて、それ以降は、より真剣にマラソンに取り組むようになりました。
45歳くらいまでは多くの大会に出て、優勝することもしばしばでした。さすがにそれ以降は年々タイムが落ちてきました。先日、フルマラソンを走ったのですが、体がボロボロになってしまいました。