地域住民のために、急性期機能を維持する
紀南病院の歴史は1948(昭和23)年に、南牟婁郡(みなみむろぐん)21町村の南牟婁民生病院(国保直営)として開設されたことに始まる。当時、この地域は紀伊半島の陸の孤島と呼ばれていたという。現在は標榜科が14、常勤医師が21人、病床数は、278床。系列に老人保健施設100床のきなん苑を持つ。
―3月に新しい本館が完成しますが、これまでの経緯などを。
旧本館は1995年に建てられたもので、耐震基準を調査したところ、コンクリート自体に問題があり、強い地震では倒壊する恐れがありました。ちょうど、2010年12月に、二次救急医療機関の整備補充の計画に対して、国から補助金が出ることになり、翌年1月に県に計画を説明し、何度もプレゼンを重ねた結果、本館の改築計画が認められることになりました。
しかし、2011年の東日本大震災の震災復興事業や、東京オリンピック、リニア新幹線など公共事業の増加に伴う技術者不足、建築資材の高騰などで、なかなか建築会社が決まらず、計画実現が危ぶまれる時期もありました。ようやく2014年3月に建築会社が決定しました。
さっそく、同年4月に着工となり、10月には旧本館の取り壊しと、工事は順調に経過し、基礎工事も終わりました。ところが免震装置を取り付ける寸前の3月に、当院も採用しようとしていた東洋ゴムによるデータ改ざん問題が発覚しました。その後、ブリヂストンに変更をし、4カ月の工期延長となりました。今年2月に、ようやく完成にこぎつけ、3月に内覧会を迎えました。4月に本格的に稼働します。
今年で院長職は丸5年になりますが、改築は、副院長時代から関わっており、完成は大変感慨深いものがあります。
―新本館の特徴を教えてください。
新本館は5階建てで、救急外来、消化器内視鏡室や、新たに取り込んだ38床の急性期病棟には、5床のハイケアユニットを設けました。4階は、回復期リハビリ病棟のリハビリテーションスペースと、患者さんや、お見舞いの方のために談話室があり、海を見ながらリラックスしていただけると思います。5階は手術室ですが、免震構造なので、地震などがあっても手術が続行できます。
屋上にはドクターヘリ用のヘリポートを設置しました。このあたりは高速道路を利用しても、救急車では津市まで2時間半はかかります。ドクヘリなら三重大学病院や伊勢日赤病院から30分程度で搬送することができます。
また、当院では対応が難しい重症患者を三重大学病院などに救急車で搬送する場合、当院の医師が搬送に同行するため、移動も含めて約7時間は医師が不在となります。その点、ドクヘリは受け入れの病院から医師が同乗してきてくれますので大変助かります。
―今後の運営について。
国の方針に伴い、住民が地域で安心して暮らす地域包括ケアシステムを進めて参ります。
当院が果たすべき役割は、病院が持つ特性や組織力を生かして、急性期医療とそれに続く回復期医療をしっかりと担っていくことです。
また、この地域は、独居老人や高齢者夫婦などが広い範囲に居住しており、発見が遅れたり、受診の不便さから重症化したりすることも多いのが実状です。地域住民のために、急性期機能を維持することは大変重要だと考えています。
―人材育成やスタッフの確保で力を入れていることは。
三重大学医学部は、この地域からの推薦枠を設けています。これまで、今年の受験生を含めると9人が合格し、そのうち2人は昨年卒業し、すでに医師となっています。
将来、彼らが紀南地方に戻って医療を担ってくれることを期待しています。
また、県の事業として地域医療研修センターを設けており、全国から年間約40人の地域医療研修医を受け入れています。研修後、彼らの他の病院での取り組みを当院のスタッフに講演する「ホームカミングレクチャー」も大変好評です。
―医師を志したきっかけは。
父が開業医で、幼いころから日常的に医療の現場に触れていたので、自然な流れだったと思います。戦後、父が九州で開業した際には、馬に乗って往診したそうです。外科医を志したのは、義理の兄が外科医として活躍していたので、感化された面が大きいです。
三重県南牟婁郡御浜町大字阿田和4750
TEL:05979-2-1333