高知大学医学部 老年病・循環器・神経内科学講座 神経内科部門・脳卒中センター長 古谷 博和 教授

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複雑に絡んだ糸を解きほぐす

古谷 博和(ふるや ひろかず) 1982 鹿児島大学医学部医学科卒業 同年九州大学医学部附属病院神経内科医員( 医師)1983 国立別府病院神経内科医師 1990 米国国立衛生研究所(National Institute of Health) 訪問研究員 1996 九州大学医学部附属病院助手講師( 神経内科) 1998 大牟田労災病院神経内科部長 2001 九州大学大学院内科学講座 神経内科学・助教授  2004 国立病院機構 大牟田病院 臨床研究部長 2012 九州大学医学部神経内科臨床教授併任 2013 高知大学医学部老年病・循環器・神経内科学講座神経内科 教授 2015 同脳卒中センター(SCU) センター長

 高知大学老年病学講座が開設されたのは、1981年。その後、循環器、神経内科が開設され現在の形となった。

 4月から独立し、単独診療科になる神経内科。古谷博和教授に話を聞いた。

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●4月から単独診療科に

 高知県の神経内科専門医で実際に診療に従事している人数は、20人に満たない状況です。高知県の高齢化率は全国トップクラスで、高齢者の診療に神経内科は必須なのですが神経内科専門医は非常に不足しています。

 現在は老年病・循環器・神経内科学講座の中の1つの診療科ですが、単独診療科になることで、多くの専門医を育ててゆくことが、われわれに求められています。

●2科の協力が必須

 現在、当教室の医局員は5人。うち1人は昨年4月にオープンした脳卒中センター(SCU)で勤務しています。当院のSCUは私がセンター長を務め、脳外科と協力して日々の診療を行っています。

 脳卒中センター開設にあたり脳外科の上羽哲也教授に御尽力いただきましたが、当初から「このセンターにおける神経内科の役割は大きい」と言っていただいたことが励みになっています。上羽教授いわく、「脳外科は画像で見えるものには強いが、神経内科は画像で見えないものを捜すことができる診療科」なのだそうです。

 確かに言われてみればそうで、この2科が協力することで高知大学のSCUは「鬼に金棒」になります。画像検査で見えるものだけに目を奪われず、患者さんの全身をよく診て、診断、治療を行う事が結果として患者さんのためになると思います。

●ユニークな神経内科

 神経内科は、内科のほかの専門科と比べてユニークな科だと思っています。

 大学時代の私の恩師は、「神経内科は『わからない(内)科』『治らない(内)科』だと良く揶揄されるが、『あきらめない(内)科』でもある」と、言っておられました。

 私が神経内科医になった当時は、治る神経内科の病気は本当に少なかったのですが、最近では、ずいぶんと治る病気が増えてきました。個人的には「神経内科は「治るんでないか(内科)」と呼んでもいいのでは」とすら思っていますね。

 高齢者は1つの疾患だけでなく、複数の疾患を合併しているケースが多々あります。たとえば高齢者が、急に歩けなくなったという主訴でSCUなどに担ぎ込まれた場合、MRI検査を行うと頭部には小さな新しい脳血管障害病変があり、首には頚椎ヘルニア、腰には圧迫骨折がある。脱水もあるのか、血液生化学検査でCK値も高い。このような症例の歩行障害の原因を診断して、治療を行わなければならないという事は日常茶飯事です。

と、どこが病変なのかわかりません。ベッドサイドで患者さんの全身を診て、「この患者さんは首に病変があるが、今回の症状にはあまり関与していないだろう」といった具合に、絡み合った糸を解きほぐす作業をするのも神経内科医の仕事です。

 ベッドサイドの診察テクニックを身につけることは在宅訪問診療にも役に立つし、リハビリ医療でも役立ちます。専門医を増やすだけでなく、ほかの科でも役立つ知識や技術を提供するお手伝いができれば何よりだと考えています。

●名探偵のテクニック

 シャーロック・ホームズの最初の作品は「緋色の研究」です。この作品の英題は、「A Study inScarlet」ですが、「study」と聞くと日本では「勉強」や「研究」などと訳されがちです。でも、「study」には「ちょっとした作品」などという意味もあります。まさにこのタイトルは、複雑に絡みあった糸をいとも簡単に解きほぐしてみせるホームズのテクニックのことを指しているようです。これは神経内科の診療にも通じるものだと思うんです。他の科で診てよくわからない患者さんが最後に神経内科を受診されることは良くありますが、「神経内科が病気に突破されてしまえば、この先ずっとこの患者さんはわからないままで終わってしまう。この絡み合った糸をほどくのが僕たちの仕事だ」というくらいの気概でやっていきたいと思っています。

●恩師との出会い

 私が神経内科医になったのは、鹿児島大学第三内科の井形昭弘先生との出会いが大きかったですね。

 井形先生はやる気の無い学生のモチベーションを高めるのが実に上手なかたで、いつも「君たちは素晴らしい可能性を秘めている」と一生懸命に説いてくれました。前述した「わからない(内)科」などは、井形先生のお言葉です。

 私の学生の頃は、ちょうど、がんの遺伝子が初めて発見された時期で、そのとき井形先生が授業でおっしゃっていたのは、「がんは時刻にたとえると明け方4時くらいの病気になった。うっすらと東の方角がわかる時刻だ。しかし、神経疾患は夜中の2時だ。真っ暗で西も東もわからない。でもこの時計を2時間進めるのが、君たちの仕事だ」という言葉でした。その言葉に感銘を受けて、神経内科医になることに決めたんです。

 大学卒業後は悩んだあげく、地元福岡県の九州大学神経内科に入局することにしました。それを井形先生に告げにいくと、一瞬残念そうな顔をされましたが「日本中どこで働こうが、いい神経内科医になってくれればそれでいいんだ」とおっしゃって、快く送り出してくれました。

 九州大学神経内科入局後は、黒岩義五郎教授から、患者さんそれぞれの症状の違いを徹底的に追究することの重要性を学びました。2人の恩師との出会いが、私の血となり肉となっているといっても過言ではありません。若いうちはいろいろな場所で武者修行することも、時には大事でしょうね。

●TPPの影響

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の締結で環太平洋間の医療の垣根がなくなります。これから日本の医療は、ちょうど日本の家電製品や車に起こった事と同様に、高度最先端のものと日本人の特徴を生かした痒いところに手の届くような「おもてなしの医療」に二分化され、その間のマニュアル化できるような医療はコンピューターやロボット、人件費の安い他のTPP加盟国に奪われてしまう可能性があります。

 医療関係者は、自分はどの方向を目指すか、目標を立ててそれに向かって行く必要があるでしょう。私達はベッドサイドでそのような診療の役に立つ神経内科の技術を、次の世代に伝えて行きたいと思います。

高知大学医学部附属病院
(住所)高知県南国市岡豊町小蓮
(電話)088-866-5811


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