「法令遵守」
法令遵守(じゅんしゅ)は国民に等しく課せられた義務として、違反すれば処罰の対象となる。
為政者にとっては権力を行使・維持する上で好都合であり、国民は社会秩序維持のために従わざるを得ないのであるが、やゝもすると、遵守のために法令・規則があるかのような錯覚に双方が陥る傾向にあり、権力者にとってはそこが狙い目といえなくもなく、悩ましい。と同時に、法令はもとより、何から何まで、規則、規則で自縄自縛するこの社会の不条理にも不安を覚える。
「悪法も法なり」は正に法令遵守の本質を突いており、戦後の混乱期、闇の食糧に手を出せず餓死した裁判官の話は有名だが、悲劇という他なく、頷(うなず)けない話ではある。
例えば、車も人もいない交差点で赤信号だからと信号が変わるまで待つのが正しいことなのかは疑わしい。本来、交通法規の目的とするところは通行を秩序立て、事故を防ぐことにあると考えるが、ルールを守ることに目的化している現実に頭をかしげざるを得ない。
因(ちな)みに、英国では、車がいなければ歩行者は横断フリーであり、車は信号に関わらず右折フリーと聞く。正に合理的である。
また、身近なものとして個人情報保護法を視(み)る時、責任回避という取扱者の安易な過剰反応が社会生活を窮屈で不便なものにしていることに気付くべきである。
そして、保険診療における処方期間が14日厳守の頃、東北地方の大学病院で、雪深き僻村からの患者に30日分出して監査された事例を現在の90日処方に比する時、国のご都合主義には「何をか云わん哉」である。
ご都合主義でいうと、特区流行りも如何(いかが)なものかと思う。特区に名を借りた治外法権が許されるのであれば、適応除外される法令とはそもそも何なのかと疑問に感じるところであり、成田の医学部新設など利権を疑われてもおかしくない。
また、法律が解釈次第というのも変な話であり、医師法21条の最高裁判断然(しか)り、憲法9条の内閣判断の変更然りである。
とはいえ、法令遵守を美徳とする社会が、ぎすぎすした窮屈なものではなく、のびのびとしたゆとりあるものであるよう望んで止まない。