司法精神医学は、ますます重要に
ー医師になった経緯は。
私は沖縄県の出身です。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高校)から、当時は戦中でしたので陸軍予科士官学校へと進みました。
終戦となった1945(昭和20)年、旧制第五高等学校(熊本市)へ。五高には、「文科(文系)」と「理科(理系)」があり、私は理科の中でも、理学部や工学部へと進む「甲類」でした。でも、私には数学や物理の天才的な才能はなく、また、工学部に必要な手先の器用さもあまりなくてね。文学部か法学部か、と迷った結果、東京大学の文学部へと進学したのです。
東京大学では、心理学を学んでいましたが、なかなか将来が見えずにいました。その当時、中学の同級生の大浜方栄さん(医学博士、元参議院議員)が、熊本医科大学附属医学専門部(現・熊本大学医学部)にいて「医者は就職先がある」と誘われたことから、旧制熊本医科大学に入学したのです。
心理学を学んでいましたから、医師になると決めた時には、心理学と共通する部分のある精神医学をしよう、と決めていました。
ー開業にいたったのは。
勤務医がどうも性に合いませんでした。早寝早起きは苦手。やりたいことをやりたい。束縛されたくないということもあり、開業することにしました。
開業当時の1972(昭和47)年は、ライシャワー事件(1964年)の影響で精神科の病床を増やしやすかった時代の終わりごろでした。また、高度成長期によるインフレで、借金の返済もすぐにできた。振り返ると、条件も良かったのです。
ー病院運営で力を入れていることは。
昔は若い患者さんが多くみえました。今は、若い人が少なくなる一方、高齢の患者さんが増えて、認知症などの老人性の精神疾患に重点を置く必要が出ています。
高齢者のアルコール依存症も多いので、保護して入院してもらい、治療をして、状態が良くなったら自宅からデイケアなどに通っていただく、ということに力を入れていますし、その必要性は、今後さらに増すと思っています。
2009年ごろから病院を改装し、今後は耐震化を進めるつもりです。ハード面だけでなくソフト面も、患者さん、そして職員にとって良い環境にしていくのが、これからの目標です。
ー司法精神医学の第一人者だとお聞きしました。そちらに進んだきっかけは。
大分精神病院時代に、検察庁から精神鑑定の依頼を受けたのがきっかけです。引き受けたところ、気安く頼まれるようになり、裁判所でも数多く鑑定するようになりました。
もともと文学部に進もうか、法学部に進もうかと迷ったぐらいですから、関心もあったのですね。日本刑法学会や日本犯罪学会にも入っています。
ー「責任能力」について書かれた論文が、一昨年発売の「日本の名著論文選集(3)」に取り上げられていますね。
精神鑑定には、被疑者を起訴する前に検察官の判断で行う「起訴前鑑定」と裁判官の命令で公判の中で行われる「正式鑑定」があります。そして、起訴前鑑定は「嘱託鑑定」と「簡易鑑定」に分けられます。
2009年に裁判員制度が始まったことで、検察庁は、起訴前鑑定で従来の簡易鑑定ではなく、より正式鑑定に近い嘱託鑑定を多くするようになりました。責任能力がない、となれば起訴しないのです。その責任能力の有無を判断する精神科医の需要が増しているにも関わらず、専門的な知識や経験がある人、文献が少ない。それで、需要があるのだと思います。司法精神医学は、これからますます重要になる分野でしょうね。