日本の再生は人づくりから
■客員教授歴:中国天津第二医学院 藤田保健衛生大学 ■非常勤講師歴:名古屋大学医学部 三重大学医学部 岐阜薬科大学 岐阜医療技術短期大学 ■理事歴:日本病院協会 学校法人鈴鹿医療科学大学 ■社会活動:1976 日本膵臓病研究会(膵臓学会)第7 回秋季大会会長 1995 日本消化器病学会第82 回東海地方学会会長 1996 日本腹部救急学会第26 回大会会長 1994~2005 岐阜県国民健康保険診療報酬審査会委員/会長 2007 日本私立短期大学基準協会第三者評価委員 現在:日本音楽療法学会推進協議会監事 IAMAS 運営協議会委員 大垣市文化事業団理事 同文教協会特別会員 小川科学技術財団理事 日本消化器病学会功労会員 日本膵臓学会名誉会員 日本腹部救急学会特別会員 1997 国民健康保険功労者表彰(厚生大臣) 1999 日本がん協会表彰(日本がん協会会長) 2000 大垣市功労者表彰(大垣市長) 2005 がん検診功労賞(岐阜県知事) ■著書:1974「膵臓病診断学」をはじめ著作・論文多数。
学校法人大垣女子短期大学の中野哲理事長は名古屋大学医学部を卒業し、長く医療の現場にいた。また教育者としても現役で活躍している。今年80歳になった中野理事長に、これまでと明日を自由に語ってもらった。
日本のことを話せといわれますが、最近は多くの問題が浮上してきています。
10歳の時に太平洋戦争が終わりました。この時、もう戦争はいやだ、みんな仲良くしようと今の憲法ができたのでしょうが、当時の理念としては立派でも、国際情勢は大きく変わり、これからの日本の平和は憲法だけで維持していけるのかというところに来ています。自分の国を誰がどう守るかを、日本人はもっと真剣に考えなければなりません。
終戦直後のメードインジャパンは粗悪品でしたが、今は一流品ばかり。わずか70年で素晴らしい国になりました。日本は四方を海に囲まれ、「和をもって貴しとなす」という日本人の精神土壌がずっとあって、人間だからいろんな間違いはやるけれども、お互いを尊重してやっていこうという相手を思いやる精神が、世界に誇る文化を生んだ。これは非常に大きな財産だと思います。
江戸末期に西洋人が日本を見て、貧しい国だが手入れが行き届き、人がやさしく穏やかで、こころが豊かと感じたようです。しかし開国のあと、列強に肩を並べようとして富国強兵の道を歩み始めた。それなりの理由もあったのでしょうが、日本人の負の遺産になってしまったのではないでしょうか。
日本人はずっと昔から多様性があったと思います。いい例が宗教で、一神教は国民の思考や行動を制約しますが、わが国は多神教で、八百万(やおよろず)の神というくらいにたくさん神様がいる。自然以外に家のトイレにも神様がいるし、家の真ん中におカミさんが陣取っている。日本人の遺伝子の中に自然の偉大さを敬う気持ちがあるのでしょう。それが最近は失われつつあり、祖先から受け継いだ日本人の精神文化をいかに残すかを私たちはもっと考えなければいけないと思います。
私が医者になったのは、終戦直後の荒廃した町や困窮している人たちを見て、困っている人に役立ちたいと、子ども心に漠然と思ったからです。両親が教師で、親戚筋に医者が数人いたことも背景にあったかも知れません。それで医者になりましたが、やはり親に似たのか、公的病院を定年後は教育者にもなりました。
医療界には大垣市民病院に32年、名大に7年いて、教育界では、大垣女子短期大学に16年ですからおよそ半分です。それでわかったのは、医師も教師も一緒だということです。医者の相手は病んだ人で、教師の相手は発展途上の若い人。だからつい、上から見下ろす言動になりやすい。そこを私は「ある行為をやった時、患者が喜ぶか医者の顔が立つかと問われた時、必ず患者が喜ぶほうを選べ」と言い続けてきました。苦しんでいるのは患者さんですからね。それは教師も同じで「学生のためになる方を選べ」ということです。患者の立場、学生の立場まで降りなければいけない。だから私は「患者中心の医療」、「学生中心の教育」をモットーとしています。
医学も教育も、知識と技術と心の3本柱が求められます。しかし資格試験は知識だけで合格できる。人間を相手にする仕事だから心がとても大切なのに、それをジャッジする方法がないから仕方がないでしょう。しかし「心」がないと、現場でいろんな問題が起きることにもつながります。
人間は家庭と学校と社会のどこがゆがんでも満足に育ちません。一番のベースとなるのが家庭で、脳の発育は3歳までがもっとも大切だと言われています。だから日本の将来を考えたら、幼児教育にもっと予算を充てるべきだと思います。
日本人が日本の良さを知るには、しばらく外国で暮らしてみるのもいいと思います。学校の教員も、3〜6カ月くらい外国でホームステイすればいい。すると言葉がしゃべれるようになるし、それぞれの国のこと以外に、日本の長所や短所が分かるのではないか。
これからの日本は、経済も大事ですが、日本の再生には、英国のブレア首相も「Education,education & education」と言っているように人材の育成が極めて重要です。
この短期大学に入学する学生に私は、「楽しく学んで自分を探そう」と話し、卒業する学生には「清く正しく美しく」という言葉を贈ります。
そして、教員が良いと思って教えても、社会にとって有用とは限りませんから、毎年就職先にアンケートを取って教育内容の是正に努めています。3年前に増設された看護学科の学生には、「子育て入門」「音楽療法入門」「美術入門」「歯科衛生概論」など、本学が5学科から成る総合女子短期大学であるがゆえにできる広い分野の講義が用意されているので、幅広い医療人になれると話をしています。
大垣は十万石の城下町ですが、壬申の乱と関ヶ原合戦という日本歴史上重要な戦場となったこと、明治政府が初めて博士号を授与した際、大垣藩の人がもっとも多かったことから、「歴史の町」、「博士の町」と言われています。幕末から明治初期にかけて、俳諧、国文学、蘭学が盛んで、西洋医学の先駆者を多く産んだこの土壌、社会的遺伝子はほかの地域にもあるのではないでしょうか。日本人のノーベル賞受賞者が増えている昨今、この日本人の勤勉さ、素晴らしさを再確認し、世界に貢献できる人づくりで日本再生を目指しましょう。