「生活の中にある医療」は自己実現や尊厳を支援する
社会医療法人仁寿会加藤病院の加藤節司理事長・病院長にインタビューした10月23日の中国新聞朝刊1面トップに次の大見出しが躍った。「三江線17年9月廃止案 JR西 一部自治体に伝達」。JR三江線は島根県の江津市から広島県の三次市を結ぶ108.1kmの単線で、駅の数は35。そのうちの一つ、JR石見川本( いわみかわもと) 駅の正面、徒歩5分のところに加藤病院はある。
インタビューには、島根大学の中寺由貴枝研修医が同席した。
「平気で生きている」ことから学ぶ
―加藤病院を継いでどんな思いが今ありますか。
1995年に経営危機を迎えたこの病院に副院長の立場で帰って来て、当時の国の医療政策にきちんと追随していくその一方で、地域のニーズに応えながら、高齢者への医療というメインストリームへフォーカスしていくことにしました。
1997年に在宅医療対策室を設け、地域包括ケア構築に向けて訪問診療などの取り組みを始めました。
その過程で、ご自宅で懸命に生をまっとうされようとしている方がこの地域にたくさんおられ、その方々が生をまっとうされている場面を目の当たりにするわけです。その生きざまから学ぶことが多いんですね。
生をまっとうされているその方々は、別の言葉で言うと、平気で生きているように見えるんです。
―平気で生きていくのも大変です。
はい。実は、平気で生きているというのは、正岡子規が随筆「病床六尺」の中に「悟りという事はいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りという事は、いかなる場合にも平気で生きていることであった」と書いているように、まさしく、地域には平気で生きているように見える、悟っている方がたくさんおられます。だから、その情景に触れながら、その「平気で生きておられる」のを支えたいと思うようになっていくわけです。
さらに、地域を俯瞰(ふかん)して見てみると、患者さんの周辺には家族はもちろん私たち医療者以外にも、看介護の職員も、あるいは隣近所の方も、互いに助け合い、支え合っていることがわかります。まさしく医療は社会の中、生活の中にあるということをすごく実感するわけです。
地域のお年寄りが平気で生きているのを支えること、それは、その方の生きがいを実現しようとされていることを支援させていただいていることになります。在宅療養支援―生活の中での医療というのは、その方の自己実現、尊厳を守ることになり、私たちが地域で動き、交流するということは地域を守ることにもなり、互いに助け合うことは、地域の連帯を高め社会全体を守ることにもなると、今は思っています。
―そのような動きは研修医にどんな影響を与えますか。
病気を治すことは大切です。一方で症状を取る、緩和する、これは医療の基本です。その基本に忠実に、そして患者さんへ敬意を払い、その方の人生を学び、医療を通じてその人生へ何らかの貢献を続けることで社会を変えていくことを私たちのビジョンとしています。
これは医師だけの力では成し遂げられません。いろんな専門分野を持つ仲間とチームを組んで、連携してこそハンディキャップを持つ方の生活の質の向上に貢献できると思います。当院へ来てくれる研修医の皆さんは、専門職連携ヘルスケアチームの素晴らしき機能が医療の本質的なダイナミズムの一つであることに自ら気づきます。地域に飛び込むことで自身のアイデンティティーを再認識し、あるいは新たな発見をしているようにも見えます。私が医者になった時には、医療が生活の質をよくするなどとは夢にも結びつけては思いませんでしたから。
さらに、私たちが仕事を通じて地域や患者さんから学んだことは、次の世代に伝えることができます。これこそがスーザン・バーレイのいう「わすれられないおくりもの」であり、生活の中にある医療だと私は思うんです。研修医の皆さんには、それができることを喜びとして、目の前にある瞬間(いま)を精一杯がんばってほしいと思います。
―スタッフや職員のやる気を高める方策は。
大事なことは、2つ。法人は、専門職を持つ人間としてたえず成長していけるように支援し、同時に、健康も支援することです。成長は、専門職を持つ者にとって大きな喜びや満足をもたらします。一方で、健康は、身体的であれ、精神的であれ、社会的であれ、それを損ねるようなことがあると大きな不満となります。このように、満足をもたらすものと、不満を膨らませるものは、全く別物です。これはハーズバーグの古典的な動機付け理論の応用です。要するに、満足を高め、不満をなくすという全く別物の方策つまり、どちらの支援も必要だと思います。