70余年地域の希望に応えながら

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社会医療法人 宏潤会 大同病院 大同老人保健施設 / 大同クリニック 中央クリニック font.jpg川 公章 理事長

1977 日本医科大学卒 名古屋市立大学第2内科学教室臨床研修医 1979 大同病院内科 1984 名古屋市立大学第2内科学教室助手 1990 大同病院呼吸器科主任部長 2000 大同老人保健施設施設長(兼務) 2002 名古屋市立大学医学部臨床教授(兼務) 2004 大同病院院長 2007 名古屋市立大学医学部非常勤講師(兼務) 2010 社会医療法人宏潤会理事長

■名古屋市感染症予防協議会委員 名古屋市感染症診査協議会結核部会委員■学会活動:日本結核病学会(評議員)結核診療ガイドライン共著者、結核・抗酸菌症認定医、指導医 日本呼吸器学会(代議員、専門医、指導医) 日本呼吸器内視鏡学会(評議員、専門医) 日本内科学会(認定内科医) 日本肺癌学会 日本サルコイドーシス学会、日本癌治療学会、日本アレルギー学会

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―大同病院のこれまでを。

 1941年に、今の大同特殊鋼株式会社の前身大同製鋼が職員と家族のためにつくった病院です。当時は大同製鋼病院と称していました。それを母体にして、昭和60年代に医療法人化し、2011年に救急医療の充実が評価されて社会医療法人の認可を受けました。残余財産を国に寄贈することで非営利性をしっかり担保し、地域にさらなる貢献をすることが可能となりました。大同製鋼病院がつくられた当時は工場勤務者やサラリーマンが誕生したような時代で、健康保険もなく、平均寿命が約50年程度の時代でした。働く人たちと家族のための健康を確保しようとした設立当時の精神と伝統はずっと引き継がれ、今も残っています。戦争中このあたりは軍需産業が多く、ほとんど焼け野原になったと聞いていますが、戦後になっても当時の会社の意向と地域の方々の希望で病院が再建されています。

 その後、伊勢湾台風で病院は全壊して、入院患者が亡くなり、職員も殉職しています。でもそのあと、地域の希望が非常に強く、もう一度病院として再建して現在の姿があるのです。

―昨年の7月に新病棟が完成しました。

 増床はできないので、404床のうち165床を個室化しました。新しい病棟は全室が個室です。個室が増えたということと、それから1階に救急センターを拡充させ、その周囲に、緊急検査に対応できる医療機器を配置して、救急の機能をさらに高めました。

 それから、3階の手術室に隣接してICU・HCUをつくり、そこには重症の患者さんのプライバシーを守りながら、救急から直通で入れるスタイルで設計されてあります。

 災害対策としては、災害拠点病院並みの耐震構造です。1階の床下1㍍下が伊勢湾台風時の水位になりますがその高さまでかさ上げしています。

 南海トラフ大地震では最大8.5mの津波が来るそうですが、さすがにそこまで上げると日常機能が難しいので、1階には、ER以外は検査室などを中心として配置、2階以上に事務系やエネルギーセンターがあります。災害時にも確実に安全を確保できるようにしてあります。コジェネレーションを用いて緊急時には通常時の85%程度の電力が確保できる設備としています。放射線治療棟、救急車の専用出入り口と外構工事が継続中で、全体の本格稼働は来年の2月、3月の予定です。

―職員の気持ちを1つにするために何を。

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 みんなが相談して決めた目標に向かって一緒に努力する、ということでしょうか。企業系病院だったこともあって非常に人に優しい病院ですから、その点を強調しながら、一方でフラットな組織づくりにも努力しています。事務局と医局と役職者がいる部屋が同じフロアになっています。私は役割としての理事長であるというつもりで仕事をしています。他の職員もチームの中で、医者だけでなく、看護師さんや管理栄養士さんがリーダーシップをとる場合もあります。目的は患者さんと家族のための治療ですから、そこさえ一致していれば、リーダーはリーダーシップのある人がなり、それは役職や医療職の差ではないと、いろんな機会にお話ししています。

 各職員はそれぞれが高い専門性をもっての活動がもとめられます。さまざまな情報公開と共有化を大切にしました。それにはIT利用を推進し、2006年から電子カルテ化を実施しました。法人内のどこでもさまざまな情報や報告を共有できるようになりました。

―世代間のギャップを現場でどう埋めますか。

 若い職員から、あんなふうになりたいと思われるリーダーの育成です。

 熟練者は徐々に、直接リードしたり指導したりできなくなりますので、中間にいる人たちがしっかりリーダーシップを発揮して後輩を育成することです。それは医師に限らず、看護師さんでも医療職でも同じです。自分だけ素晴らしいスーパードクターやスーパー職員さんではなく、常に自分と同様に仕事ができるように教育出来る人が真のリーダーです。

 これまで、特に看護師さんがリーダー育成を一生懸命やってくれ、若い人たちが「あんな看護師になりたい」と言って頑張ってくれる。看護師さんも、非常に充実して働いてくれています。医師の場合でも、研修医の教育に積極的に取り組んでいます。当初は30人から40人ぐらいしかいなかった医師も今は100人以上になりました。

―なぜ医師になろうと。

 幼いころから非常に身体が弱く、ずっと病院通いばっかりしていたんです。病院へ行くとお医者さんが非常に親切にしてくれたり、声をかけてくれたりしたことが励みになっていたので、私も大きくなったら医者になりたいなと。小学生のころの漠然とした気持ちで、医学部受験にはなかなか受かりませんでしたが、やっと医者になりました。

―法人全体で力を注いでいることは。

 連携です。われわれは法人全体で急性期の医療をやることを最大の方針にしていますので、それぞれが自分の立場で考えて行動してくださいとお願いしています。だから、たとえば、だいどうクリニックは大同病院の外来部門という位置づけになり、そこでも急性期の医療を支えましょうということです。当院では、患者さんは平均9日で退院されていくわけですが、急性期を離脱したところですっかり元気というわけではありません。その後のケアが大事なので、われわれの連携の中でケアして、在宅へ戻っていくことを、グループの一員として同時に地域医療に貢献する立場で考えてくださいとお願いしています。その目的のために、ではどんな連携が必要なのか、という視点での行動を促しています。

―今後の取り組みは。

 社会状況の変化や超高齢化社会で国家の財政が非常に厳しい中で、質をしっかり担保して高度の急性期医療を提供するための努力を継続していきたい。そのためにまず、安全で成果が上がる医療を提供していきたい。たとえば、内視鏡下手術などでは在院日数が3日や4日くらいになるものがあるのですね。入院は費用もかかりますので、これらが外来での対応が可能となれば、さらに効率的になります。

 もう1つは、地域包括医療の中で、高齢の方が、高度急性期医療から在宅にシームレスに戻っていくための役割を果たしていきたい。現在は、介護老人保健施設と、関連する特別養護老人施設を持っていますが、さらに地域包括の病院などとも連携しながら、全体を構築していきたいというふうに考えています。


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