医療法人社団 誠友会 南部病院 山成 英夫 院長
―病院を紹介してください。
昭和62(1987)年に八尋克三現理事長が開設されて今年で27年目になります。一般病床が73床あり、7対1の看護体制を取っている急性期病院です。地域の方々に親しまれ、信頼される病院を目標に、宮崎市の南部地域に密着した病院として成長してきました。
―住宅型有料老人ホームを建てていますね。
この地域には、ご家族とは別に暮らしている高齢者が多く、ここは急性期病院ですから、急病で入院したけれども、そのあと元の生活に戻るのが難しくて、帰る場所がないと言われる方が多いんです。だから病院の後方に、介護なり療養型の病院なりがあって、そこにつないでいく役割が求められます。特にこれから、地域包括ケアシステムの出発点は急性期病院であることが多いと思います。今後は地域のさまざまな医療関連施設と連携を取り、スムーズに橋渡しすることが重要になってくるでしょう。それと並行して病院自体も専門性を高め、より良い医療を提供する、その両輪で進んでいきたいと思います。
―島根県出身ですね。宮崎県民をどう見ますか。
島根県浜田市の出身で、18歳まで気性の荒い人のとても多い漁師町で育ったものですから、こちらに来たらやさしくて控え目な人ばかりで、最初は少し戸惑いました。
―医者になりたてのころと今では心境に変化は。
私がなぜ外科医になったかというと、メス一本で病気を治せるのはすごいと思ったんです。若いころはそんな思いで外科医をやっていました。でも患者さんと医者は人間対人間であることを考えたら、メス一本で病気を治すという考えは医者のおごりなんですね。
患者さんの中には私よりもずっと人生経験の豊富な方がおられます。人間対人間としてトータルで相手と付き合っていかなければ、本当のところで治ったことにならないのだという意識に変わってきました。ただこれは、若いうちにはなかなか分かりません。
―院長になって1年。職員のやる気をどう出させようとしていますか。
職場の改善として看護師にアンケートを取って、どんな医療をしたいかを把握し、その希望に沿って配置したことでしょうか。それによって専門性が高まる期待が生まれています。モチベーションアップのほうは、来年、宮崎県の救急の学会を当院が主催することで、学会発表を準備すること。そのために学会出張にもどんどん行って外から刺激を受けてもらうことにしています。
私自身は院外のつながりを増やしていくことに励んでいるところで、週に1回の朝礼の場で、1つでも2つでも心に届く言葉を使うように努めています。
―協力型臨床研修病院です。
年間4人の研修医が来ます。私は指導医として一緒にいることが多く、繰り返して言うのは「患者さんのところに行ったらまず顔を見なさい。患者さんは毎日顔が変わる。自分の病気だけじゃなくて、家族との関係や機嫌など、患者さんの心の声が聞こえる医者を目指してほしい」。これが私の気持ちです。
今の若い医師たちは少し前の医師に比べて、なんとなく地元志向で、地域医療への理解も進んでいるように感じます。2017年から総合医の研修が始まりますから、そういったことも教育の中に入ってきたのかもしれません。ただ、若いですから人間的にまだ未熟なところがどうしてもあって、だから人間として成長しなければ、いい医者にはなれないと思います。