開業27年いろんなことがありました

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医療法人 原信会 原口病院循環器内科 原口 信一 理事長

1967 久留米大学附設高校卒 1973 久留米大学医学部を卒業し第3内科入局 1974 米国イリノイ大学留学 1978 県立日南病院医長 1982 久留米大学医学部講師 1984 広川病院副院長 1986糸島郡医師会病院 1988 原口病院循環器内科を開業 現在に至る■著書に「本質的に違う男と女」(葦書房: 1983)がある

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―この地域と原口病院について話してください。

 この地に開業した昭和63年(1988年)ごろは、周囲は田畑ばかりでした。

 開業当時から、この27年間、どの地区から何人、または何歳の人が当院を受診されたかというデータをずっと集めてきました。なぜなら、この病院がどんな状況にあるのか会計だけでは分からないし、分からなければ将来の予測も出来ません。この結果はその都度従業員に伝えてきました。開業する前には、人は街の中心部から逆の方向には集まらないといわれていましたが、実際には中央からも人は来てくれることが分かりました。以前は、外来者は40歳代が一番多かったのに、いつの間にか70歳代の人に取って代わられていました。それと、開業当時は病院の周囲にはほとんど建物はなかったのに、今では病院の周囲も含め随分と人と建物が増えるまでに変化しました。

―久留米大学出身ですね。

 卒業してすぐ米国のイリノイ大学に1年半留学したほかは、ほとんど久留米大学病院に勤務していましたが、出張を命じられたのをきっかけに開業を決心しました。久留米には内科が多いから、福岡と久留米の間に開業の予定を立てましたが、土地が見つからず結局7年もかかってやっと、今の場所が手に入ったのです。最初はがらんとしていましたが、周辺にだんだんとマンションや大型店舗が建つようになって公園もでき、病院正面の室見川には歩道も整備され、地下鉄室見駅まで徒歩で20分、とても静かな場所です。そういうわけで、病気をされた方の治療や療養に最適な場所となったようです。今思えば運が良かったのでしょう。

 場所が気に入っていましたので、最初は頑張れば何とかなると思っていましたが、実はとんでもありませんでした。苦労の連続だったんです。

―病院経営を続ける上で大切なものは。

 まず、心が強くなければだめだと思います。医療行政の変化や、外来者、入院者の数の変化への不安など悩ませられることだらけでした。また、知らない土地でゼロからのスタートでしたし、資金繰りにも苦労しました。しかし、不思議と不眠になったりすることもなく、体と心はずーっと健全で過ごすことができたのは幸いでした。たぶん、家に帰れば仕事のことはほとんど忘れることが出来たし、私は悩みを外に向かって発散する必要がないタイプで、思考停止の方法も役に立ったのかも知れません。

 次は、一人ひとりを大切に思って過ごすことでしょうね。それと、自分のレベルを常にアップさせる努力をしていくことです。そして最後に、何かに集中できる時間をつくることです。私の場合は、仕事開始の2時間前に出勤して本を読んでいます。この時間は学問の世界に没頭でき、ほかのことを忘れられます。このことも大切なようです。

―これから大切になってきそうな分野は。

 人間は肉体と精神の2つの機能を持っています。医者はその両方を理解する必要があります。また、人間を知ることも大切です。私も人間を知るために、ほかの先生と同じように専門分野以外の勉強をやっていますが、まだまだです。

 これからは認知症と歩行困難が高齢者を襲ってきます。脳と足がその機能を失ってくれば、人間はどうしようもできません。認知症は皆が発症するわけではありませんが、歩行困難者にはみんながなります。筋肉の委縮を改善する薬がないので、外来では散歩を常に奨励しています。そして、死ぬ近くまで歩けることを目標にしています。人間は、脳の司令塔と足の司令塔が機能不全に陥れば本当に困ってしまいます。政府はもう平均寿命でなく健康寿命を奨励する方向にかじを切っています。

―地域に出て行く在宅は。

 現在、週に1回だけ在宅診療をやっています。医療費との関連でこれからも訪問診療がさらに奨励されていきます。私の病院でも訪問診療をしていますが、始めた理由は政府が奨励したからではないのです。30年間も一人の人を外来で診療していますと、だんだん歩行困難になって外来受診が出来なくなりますが、そういう人にいかに対応したらいいのか考えた結果、車で送迎するのでなく、その人の家にこちらから行けばいいと思い立って、それで訪問診療を始めたようなわけです。

―なぜ医者の道に。

 親戚には医者がたくさんいて、父親も医者でした。それで、私もいつの間にか医師になったようです。私は、中学生のころから大人になるまで、いや、大人になっても父親を嫌っていました。理由は不明で、特別な何かがあったわけでもないのに、憎んでさえいました。そして、それが自分の悩みでした。記者さんはどうでしたか? (「私もそうでした。父親の晩年まで」と記者) ああ、私と同じですね、似てますね。それが私の弱点だとずっと思っていましたが、父の晩年にはやっと「お父さん」と言って手を握ることができたのです。大した進歩でしょう。父親は私に嫌われることで、乗り越える高い壁になってくれたのかも知れませんね、結果的に。本心は分かりませんが。


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