河野 義久 院長に聞く
■資格等 医学博士、日本脳神経外科学会脳神経外科専門医、大分大学医学部非常勤講師
―開業のきっかけは。
大分医科大学の1期生で、「NMRスペクトロスコピーを使ったエネルギー代謝の研究」をしていました。できればずっと研究を続けたいと思っていましたが、三愛病院(現大分三愛メディカルセンター、大分市)で脳神経外科を1人で受け持っていたことが1つの転機になりました。
患者さんと触れる中で、患者さんと直に接し、自分の理想とする医療をしたいという気持ちが強くなったんです。
当時、大分市の東側には脳神経外科がありませんでした。そこで、「この地であれば、やっていける」と1995年、19床の有床診療所をスタッフ11人で始めました。
2002年に病院となるまでの7年間は、ほぼ1人で当直をこなしていました。妻と子ども2人がいましたが、家族でレストランに行っても、注文をしたらポケットベルが鳴り、食べずに戻る、ということもしばしば。自宅は別の場所にありましたが、車で40分ほどと離れていたので、家族4人で当直室に寝泊まりする日々でした。
でも、脳卒中の救急をやりたい、救急はすべて受け入れる、という気持ちがありました。現在に至るまで、患者さんは全員受け入れてきています。
―なぜ、脳神経外科医に。
高校1年生の時、41歳だった父親を突然亡くしました。朝になったら、冷たくなっていて、恐らく心臓死だったと思います。それをきっかけに、自分は医者になろう、病気の人を救いたい、と思うようになりました。
大学時代は、ワンダーフォーゲル部を仲間と立ち上げました。新規大学でグラウンドもない、体育館もない。あるのは山だったからです。
そして初代脳神経外科教授の堀重昭先生から、脳神経外科の行事である夏山登山を手伝うように言われ、毎年手伝うようになりました。
専門を選ぶ際、もともと手を使うことが好きだったので、外科がいいと思っていましたが、父を心臓死で亡くしていたので心臓血管外科にしようか、それとも脳神経外科か、迷っていました。そこで、堀先生に相談に行ったら、教室にすでに私の名札がかかっていた。それが脳神経外科医になった経緯です。
―病院の特徴は。
「患者様の心を心とし、最高、最良、善意の医療を行います」を理念の1つとしています。患者さんの心を心とする、という部分は、大分医科大学の初代学長、中塚正行先生の言葉。「患者さんに寄り添う」「患者1人1人の心を大事にする」ということだろうと思っています。
救急病院は、患者さんが多くなればなるほど、同じような対応をしがちです。でも、患者さんの思いを知り、背景を理解して診察することが大切だと思うのです。
当院は約100人のスタッフの距離感が近く、「おーい」と呼べばすぐ集まれるような団結力があります。毎朝、医師、リハビリ部門、看護部門の各代表、ソーシャルワーカーが一緒に回診をし、その日勤務のスタッフ全員でカンファレンスをします。理念を共有し、スタッフみんなが同じ方向を向いていると感じています。
開業から20年、地域から信頼を得ることができているという実感があります。日経ビジネス6月1日号 が特集したDPC病院対象の病院経営力ランキングでも総合得点57・29点、 全国113位で大分県では第1位を獲得しました。
また、「開業医でも研究」を掲げています。現在は、当院にある3テスラのMRIを使い、人が注意を払うと脳のどの部分が働くのか、という研究などを、大分大学の先生方と進めています。
地域での啓蒙活動にも力を入れています。勉強会、婦人会、老人会、どこへでもプロジェクターとスクリーンを持って行き、話をしたり寸劇をしたりします。
小学生に身体や医療への興味を持ってもらえるよう体験学習の場を設けたり、医療従事者を目指す専門学校生などを招いてチーム医療を体験してもらったりする催しも開いています。
認知症予防、脳卒中予防の両方ができる「河野モンキー体操」(https://www.youtube.com/watch?v=bmUcsxAmQnMで視聴可)も作りました。
これらのことは、どれも私のトップダウンでやっているわけではなく、スタッフが案を出し、考えてくれています。
―今後の目標は。
私がやりたいのは急性期の治療。それを磨きに磨くことがまず第一です。さらには脳卒中にならないようにはどうしたらいいかということにも視野を広げ、地域の健康増進、特に脳の健康のためのお手伝いができたらと思っています。
―先生からの寄付を基にした奨学金があるそうですね。
大分合同福祉事業団が創設してくれました。私自身、父を早くに亡くし、医師になるまで経済面で少し苦労しました。ですから、少しでも役に立てればという気持ちです。
「目指すゴールは皆一緒」 ―同病院で研修した初期研修医の感想より―
研修で最も勉強になったのは「目指すゴールは皆一緒」ということです。多職種で成り立つ医療チームですが、結局どの方々も「患者さんの未来がいい方向にいくこと(アウトカムの向上)」という、共通の理念をもって働いていることを体感できたことが、1番勉強となりました。
患者さんそれぞれの目標にあわせてオーダーメードの医療を提供でき、患者さんや患者さんのご家族も、チームの一員として巻き込んだ医療が実践できたケースでは患者さんやご家族が医療スタッフを「看護師さん」「リハビリの先生」ではなく、「看護師の○○さん」「リハビリの○○先生」と名前で呼んでいるという共通点がありました。「チームメートを名前で呼ぶ」ような感覚になっているのではないかと感じられ、とても印象的でした。
私が実感した「チーム医療の絵」は、「多職種が患者さんやご家族を取り囲んでいる」「医療スタッフの目線は中央の患者さんをみんなで見ている」ようなものではなく、「患者さんやご家族も同じチームの一員として医療スタッフと共に患者さんの未来と言うベクトルに目線を向けている、みんなで同じ方向・目標を見ている絵」だと感じました。