86歳現役院長が語る民間病院に必要なこと

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医療法人森下会 森下病院 森下 昭三 院長

■略歴 1954 年熊本大学熊本医科大学(現熊本大学医学部)卒業。大分県立三重診療所、高知県仁淀村長者診療所、同県土佐郡土佐山診療所、国立高知病院勤務を経て、1967 年森下内科開業。1972 年現在地にて病院に改組。
■役職、表彰など 幡多医師会理事・副会長・会長、高知県医師会理事・副会長を歴任。高知県知事表彰、勲五等双光旭日章。

 高知県四万十市にある森下病院の森下昭三院長は現在86歳。高知県医師会の副会長などを務め、2002年には勲五等双光旭日章を受章した。その歩み、今の思いは。話を聞いた。

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―ご出身は高知ですか。

 生まれは神戸です。須磨区で生まれ、その後、西宮に住んでいました。父も母も高知県出身でしたが、銀行に勤めていた父が神戸や大阪の支店に勤務していましたので、そのためです。

 そのころは結核が銀行員の職業病と言われた時代でした。紙幣には多くの菌が付着します。それを扱いますからね。父も結核にかかり、私が小学6年の時に亡くなってしまいました。それで、両親の故郷の高知県に引き上げてきたんです。

 こちらの中学校を卒業し、高校入学は1946(昭和21)年。終戦の翌年でしたから、校舎はバラック建て。爆撃で市内は焼け野原で、鉄筋の建物だけがちょこん、ちょこんと残っている時代でした。

 高校1年の12月の試験の真っ最中、急性肺炎を起こしましてね。1カ月ぐらいで治りましたが、試験が受けられなかったため落第し、高校を4年かけて卒業しました。その後、現在の熊本大学医学部に進み、医局や関連病院で経験を積んだ後、この四万十市に戻って開業したんです。

 今、私は86歳です。戦前、戦中、戦後を知っているわけです。今、みなさんがおっしゃっているように、「平和」ということは本当に大事だと改めて感じますね。

 戦争では広島、長崎に原爆が落とされ、あらゆる都市が爆撃されて、惨憺(さんたん)たる状況でした。戦争ほど怖いものはありません。絶対にさけるべきです。平和って、尊いんです。

―病院について聞かせてください。

 当院は、慢性期131床の病院です。慢性期病院は急性期病院との相互連携が大切です。

 民間病院ですから、機械的にも技術的にも「ここまではできるが、これ以上はできない」という一線を引かなければならない部分があります。

 感染症を例にとると、当院で入院して治療できる度合いのものもあれば、他病院を紹介しなければならない場合もあります。

 自己を過信して、なんとか自分で治療しようとしてしまってはいけないですね。患者さんの状態を悪化させてしまい、手遅れになってしまう場合もありますから。自分でできる範囲をきちんと見極める、しかもタイミングを逸さずに決める判断力が問われます。

 一方で、急性期病院からの患者さんも多く受け入れています。急性期病院の入院期間はおおむね10日〜2週間。時には、回復期に至っていない、亜急性期のような患者さんが紹介される場合もあります。

 慢性期病院の立場としては困るのですが、急性期の病院としては、入院している患者さんを他病院に送るか退院させないことには新たな患者さんを受け入れられないわけです。「今回は受け入れる」「今回は難しい」、急性期病院とバランスを取り合って進めています。

―心がけていることは。

 患者さんの立場で優しい医療を提供する病院は、行きやすい病院になると思います。ですから、患者さんの目線に立つことが大切でしょうね。

 仮に患者さんが「熱があるから」と病院に来たとしても、「寒気はないですか」「痛みはないですか」と掘り下げて聞いて、いろいろな情報を得ること。それから診察をして、必要な検査をして、診断、治療へとつなげていくことが重要です。

 優しい医療、緻密な医療とも言えるかもしれませんが、そういう丁寧で真剣な姿勢は患者さんも感じます。そうすることで患者さんからの信頼の度合いも大きく変わってきます。信頼されるということが基本の基本で、大事なことなんですよね。いろいろな病院がある中で選ばれるためには、やはり情熱を傾けていかないとだめなんです。

 今、若い先生方の中には、まず検査をして、検査データを見てから診察をするという人もいますが、そのような方法は歓迎しませんね。古典的な方法かもしれませんが、まずは聴診器を当てて、触れる。そしてこの人の病気はこういう病気じゃないかと見極めながら必要な検査をしていくというのが大事なことではないでしょうか。

―若い医師へのメッセージ、今後への願いは。

 医者になっても、医師免許を持っていればそれでいいわけではありません。その人の臨床の力がものを言います。下積みの苦労はせんといかんですね。

 私には息子と娘がいて、2人とも医師をしています。息子は山梨県甲府市の整形外科病院に勤務し、脊椎を専門に診療しています。一方、娘は消化器内科医で、高知医療センターに勤務しています。内視鏡手術を数百件手掛けているそうです。

 息子に跡を継いでほしいのですが、その気があるやなしや...。息子が病院を経営していくためには、娘の力も得ないことにはやっていけないとも思っています。

 とにもかくにも、この病院を継いでもらえるめどがつくまでは、元気でいなければと思っているんです。


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