医療法人 蒼風会 こだま病院 児玉 圭 理事長・院長
―病院の成り立ちは。
1979年(昭和54年)、私が5歳の時にこの病院ができ、ここから学校に通いました。患者さんたちに囲まれて育ち、小学校高学年で引っ越し、働くために久しぶりに戻ってきたら「いい町だなぁ」と思いました。幼いころにかわいがってもらった職員さんが、今も働いてくださっているのはうれしいなと思います。
働く父の背中を見て育つうちに自然と「精神医療」に興味が湧いていました。研修医時代には各科を回りましたが、やはり精神科をやりたいなと思いました。父の下で働き、2012年に院長、昨年6月に理事長を受け継ぎました。
―「精神科」について。
病気の診断については、「過剰診断」、つまり、医療にのせなくていいのにのせてしまう状態に陥らないように気をつけています。
うつ病であれば、「単なる怠けではない」と告げることや、統合失調症であれば、妄想や幻覚のみならず周囲の無理解にも苦しんでいる患者さんに「あなたは病気なのだから」と伝えることで「居場所」ができて生きやすくなる、というところはあるかと思います。
当院の信念「つながりがやすらぎ」にありますが、どれだけ他人とかかわるのを嫌がる方でも、こちらが介入していくことで相手も繋がりを求めてくれることが多いです。薬による治療も大事ですが、むしろ薬以外の部分でどこまで関わることができるかを当院は重要視しています。
1998年、「社会復帰」をキーワードに父がつくったのが、「萌(もえ)」という喫茶店。有限会社でやっています。患者さんが主体で従業員として関わってもらっています。
週1回、店休日の月曜はミーティングにあてています。ふらりとお昼ごはんを食べに来る営業マンがいたり、食事のおいしさからリピーターも絶えません。
通学路にあるため、小学生たちが「お水ちょうだい」と立ち寄ってくれたりもします。そこが、地域に残り続けている理由かなと思っています。
理想的には、働いてくださっている患者さんたちのお給料が上がることも考える必要があるんでしょうが、必要とされている場面があるからこそやりがいという気持ちも生まれるのでしょう。
退院しても家に一人引きこもり悪化する場合もあります。病気の再発を防ぐことにも繋がっているかと思います。
―患者さんのために大切にしていることは。
当院で診察にも精神保健福祉士や看護師が同席して情報共有し、主治医しか患者さんのことがわからないという状況を作らないようにしています。
患者さんにとって「この話は先生には言いにくいけれど、○○さんなら話しやすい」というように、行き場を絶やさないようにしています。また、職種により得意な分野も異なるため、あらゆる世代、いかなる病気にしても、多くの職種がかかわる「チーム医療」が大事だと思います。
―フットサルコートがありますね。
大阪で「フットサル」を治療に導入した精神科病院の先生の講演を聞いたのがきっかけです。
フットサルを、患者さんの「いつか就職したい」という夢をかなえる手段として生かせるのではと思っていたら、当院の作業療法士が「フットサルをやりませんか?」と意見を言ってくれました。しかし場所がない。そこで、「だったら、造ってしまおう」と。
患者さんの治療のためというのもありますが、サッカーが好きな職員も複数いたため、職員の福利厚生にもいいだろうと考えました。
日曜・祝日などは地域の子どもたちに開放することで、精神科病院に足を運ぶ機会に繋がり、精神科に抱かれがちな誤解も解けると思いました。
形にできたのは、賛同してくれた作業療法士や、病院のみんなのおかげです。
企画部からは、「人工芝でなく天然芝で作りたい。患者さんと職員一緒に、ひとり1本ずつサッカーコートに芝を植えていこう」と、夢がもてるような意見がでました。メンテナンスの問題から人工芝に落ち着きましたが、職員あっての完成だと思っています。
ユニフォームにいたっては「ユニフォーム総選挙」し、この5月、日本精神科病院協会の冊子に投稿しました。全部署からユニフォームのデザインを募りました。興味のない職員にも興味を持ってもらうというのも狙い。1位を採用し、表彰しました。地域の方々と患者さん、双方からの反響は上々です。
チームに入っている患者さんからは、「フットサルのある日は睡眠薬を飲まずに眠ることができています」という感想も。しかもフットサルが上手な人にはボールが集まってきますので、「必要とされている」と思えることのひとつにもなっているようです。
地域の商工会の青年チームと患者さんチームが対戦したり、子どもたちが「使わせてください」と言って来てくれます。費用としては約500万円かかりましたが、フットサルコートを作ったことで、治療に共感してくれている鹿児島大学病院の先生たちのチームとも交流試合ができています。「地域自体の活性化」という面でも造って良かったと思っています。
院長になり4年目、理事長になって1年に満たない私ですが、この立場になって初めて「みんなに支えられて自分がこの位置にいるんだ」と思うようになりました。
何十年と当院を運営してきた父の偉大さと、60歳前後の開院当初からの職員さんたちが「今の若い人を応援する」ような感じで、若い職員を育んでくださっていることに感謝しています。
―関連施設について。
当院を退院後、自宅に戻るまでのつなぎとして、各グループホームを利用して頂いています。就労支援施設B型ではクリーニングをしたり、パンやベンチを製造して道の駅で販売しています。
家で1日誰とも交流なく、ということを望んでいる人は少なく、長く働いてもらえています。障害年金を頂きながら作業をして、生き生きとされている方も多いです。