医療社会の「死(いのち)」ことばを考える 【鐘ヶ江寿美子】
今は脆弱で未来の見えない社会ゆえに、時代にかかわる言葉を発し、さまざまなことを「いのち」にまとめてとらえる思考的トレーニングを米沢氏は重視し、ブログ「いのちことばのレッスン」を始めた。米沢氏が挙げた「いのちことば」の一部を紹介する。
いのちことば
■医療社会
米沢氏は現代を「医療社会」といい、生老病死の全てのプロセスにおいて医療の支えが根底にある社会と定義する。そこでは命の尊厳が軽視され、いのちがむしばまれていることが危惧される。10年前、米沢氏は「病院化社会」ということばで、病院のようなシステムが生活の基盤に入った社会を表した。現在は地域社会も病院化している。在宅医療も自宅を病室化している側面に気づく。
■死(いのち)
安楽死、尊厳死、平穏死ということばがあるが、行政用語としての生死は「出生証明書」と「死亡診断(死体検案書)」に代表される。厚生労働省や医学界の死亡診断マニュアルでは、「老衰」や「自然死」という診断名はなるべく使わないよう指導され、「人は病死する」ことを大前提としているかのように見える。
■告知
以前は癌の告知が主であったが、最近は「認知症の告知」も社会的課題となっている。「認知症」はその診断、治療、ケアのあり方が進歩している。
高度認知症の人の感情が豊かであることも知るべきである。しかし、多くの人にとって、「認知症」は人格の崩壊、精神的な喪失=死を暗喩しており、告知後の苦悩も大きい。
■安楽死
致死薬を処方して自死を助ける行為(積極的安楽死)が合法化されたオランダでは、年間3000例以上の事例を認める。ベルギーでは安楽死の対象が18歳未満の未成年にも拡大する法案が昨年可決された。スイスでは1942年に自殺幇助法ができ、医師の処方した致死薬を患者自ら服用する手助けが可能である。日本では(積極的)安楽死は違法であるが、安楽死に賛成する市民の声もある。
名著『育児の百科』の著者小児科医松田道雄の晩年の著書に『安楽に死にたい』がある。「高齢者にとっては、ill があってもTerminal Life を生きたい」という。安楽に死ぬために、自分らしく生きぬく。そこには治療(Cure) ではなく、親しい人の心のこもった世話(Care) が望まれる。
■平穏死
石飛幸三著『「平穏死」のすすめ』は「口から食べられなくなったらどうしますか」という問いに特別養護老人ホームの配置医である石飛氏が真摯に応えたメッセージである。石飛氏は特養での人工栄養や自然死に関わる多くの経験より、社会の医療化に伴い使われなくなったことば、「寿命」、「老衰」、「自然死」を再考し、最期の時を決めるのは医療ではなく、時の流れ・神の意思であると述べる。胃ろうを選択しないことが不作為の殺人ではなく、不適切な胃ろう造設が平穏死(穏やかな、自然な、神の意思による死)を阻害すると説く。
次回はセミナーで紹介されたフランス映画「母の身終い」を題材に、安楽死について述べる。
米沢慧のブログ「いのちことばのレッスン」=http://yoneyom.blogspot.jp/