脊椎脊髄疾患治療の承前啓後

  • はてなブックマークに追加
  • Google Bookmarks に追加
  • Yahoo!ブックマークに登録
  • del.icio.us に登録
  • ライブドアクリップに追加
  • RSS
  • この記事についてTwitterでつぶやく

【第44 回日本脊椎脊髄病学会学術集会】4 月16 日~18 日福岡国際会議場で

―脊椎脊髄疾患治療の過去の業績を引き継いで、将来の局面を切り開く―

 第44回日本脊椎脊髄病学会学術集会が4月16日から18日まで福岡国際会議場で開かれた。大会長は山口大学医学部附属病院院長も務める、田口敏彦同大学大学院医学系研究科整形外科学教授。運営事務局を㈱コングレ九州支社(福岡市中央区天神)が担当した。参加者数はおよそ2300人だった。大会長あいさつと大会長講演、直木賞作家古川薫氏による特別講演「吉田松陰『留魂録』の死生観」を取材した。

k2-1-1.jpg

「応募演題は過去最高の1509 題となった」と話す田口会長。 (4 月16 日:開会あいさつで)

承前啓後と温故知新

 学会はメインホールの全員が起立して国歌の斉唱から始まった。

 開会あいさつで田口大会長は、タイトルにある「承前啓後」を説明、「似ている言葉に温故知新がある。承前啓後は先人の為した業績を継承しつつ、今の我々がそれを発展させて未来につなげようという意味合いで、温故知新のほうには時間的な継続が含まれていない。ぜひ活発なセッションを」と呼びかけた。

安倍首相からメッセージ

 さらに安倍晋三内閣総理大臣がビデオメッセージで大会の開催を祝った。その中で安倍首相は「慢性の痛みは生活の質の大きな低下を招き、周囲からわかりにくいだけに、国民生活に大きな影響を与える。国は平成23年度から、慢性の痛みについて病態や治療法、評価指標の研究を進め、相談体制の整備、理解を広める啓発活動などに取り組んでいる。難病に苦しむ人の視線に立った政策を進めていくことは自分のライフワーク。難病対策を充実、強化するための新法が、今年1月に施行された。今年7月をめどに、脊髄空洞症、重症の先天性側弯症などが新たに医療費助成の対象となる予定。この新法は、難病の発病メカニズムや診断、治療法に関する調査研究を柱の1つに掲げている。4月には日本医療研究開発機構が発足した。難病の研究は重点的な分野と位置づける。これまで以上に基礎的研究から臨床、応用的な研究まで、一環して切れ目のない支援を推進していく。大会の成功と学会の発展を願う」と話した。

森本時光、加藤仁志の両氏に学会奨励賞

 会員総会では持田讓治理事長が平成26年度の活動概要を総括し、各担当理事が事業を報告、第27回日本脊椎脊髄病学会奨励賞(大正富山Award)基礎部門が大阪大学の森本時光氏、臨床部門が金沢大学の加藤仁志氏に授与された。

吉田松陰は命の終わりに何を見たか...古川薫氏が特別講演

 特別講演で山口県下関市在住の直木賞作家、古川薫氏が、幕末の長州藩士吉田松陰(1830〜1859)が処刑の前日に書いた「留魂録」から、今にも通じる死生観について話した。

 古川氏はまず「疑えば目に鬼を見る」ということわざを引き、江戸時代を絶対視すると、それに反する出来事は皆悪事に見える。吉田松陰への誹謗は現在もあると話した。

 古川氏によれば、松陰は9歳の時に藩主の前で御前講義をするほどの天才で、1840年のアヘン戦争で英国が清国の一部を取ったことに危機感を感じ、そこから行動が変わったという。

 さらに古川氏は、松陰がペリーの軍艦に潜入し、米国への密航を企てたが、幕府との条約を理由にペリーは拒否、松陰は捕えられて投獄され、萩に護送されて松下村塾をつくるに至ったと話した。

 松下村塾は、優秀な人材が全国から集まった適塾(大阪)や咸宜園(かんぎえん=大分県日田市)と違い、塾生の大半が萩に暮らす若者。身分も武家社会の最下層や商人、農民など、学ぶ機会のない者ばかりだったという。

 古川氏は続けて、松陰が処刑前日に高杉晋作に宛てた手紙に、「きみは人間はいつ死んだらいいかと私に問うたことがあるが、死を前にしてやっとわかったことがある。死は恐れてもいけないし嫌ってもいけない。大義を為す見込みがあればいつまでも生き、意味があればいつでも死になさい」と書き、これが晋作の心を動かして功山寺挙兵につながったと話した。そして最後に、門下生全員への遺書「留魂録」第8章から、「死を覚悟した私の平安な心は春夏秋冬を循環する穀物の四季を考えることで到達し得たものである。農夫を見れば、春に種をまき、夏に苗を植え、秋にそれを取り入れて、冬には収穫した穀物を貯蔵する。秋と冬に人は汗を流して働いた成果を喜び、酒などを造って村に歓喜が満ちあふれる。私は30歳になって成功を見ることなく死を迎えようとしている。悔しい限りだ。しかし今が開花結実の時なのである。10歳で死ぬ子供にも、20歳で死ぬ者にも、30歳で死ぬ者にも50歳で死ぬ者にも、それぞれ春夏秋冬があって何かの実をつけている」と松陰の言葉をたどり、会場に向かって、「死生観があれば死が怖くなくなる。松陰の言葉は現代の我々にも語りかけてくる素晴らしいダイイングメッセージだと思う。この言葉をぜひ患者さんに話してあげてください」と結んだ。

 次回、第45回日本脊椎脊髄病学会学術集会は平成28年(2016年)4月14日(木)から16日(土)まで千葉市の幕張メッセ国際会議場で。大会長は日本大学医学部整形外科学教室の德橋泰明教授。

大会長講演概要=頚椎症性脊髄症における服部分類の承前啓後

 山口大学脊椎外科は、故服部奨名誉教授に始まり、その後、河合伸也名誉教授に引き継がれて現在に至っている。2人の名誉教授は第5回、第17回、第32回の本学会会長をされた。最近の山口大学脊椎外科の歩みを、承前啓後の立場で検討する。

 頚椎症性脊髄症(以下CSM)は、60歳以上の患者の脊髄機能障害のうちではもっとも頻度の高い疾患であるが、その診断や治療法に関してはわが国による多数のすぐれた業績が蓄積されている。その中でも1973年に発表された服部の分類と服部式椎弓形成術は、脊椎脊髄外科領域における新時代を開く大きな業績である。次の河合伸也名誉教授は、術式選択、合併症対策、10年以上の長期成績など徹底した臨床研究を実施され、その治療成績向上に邁進された。

 CSMの病態を3型に分類した服部の分類は、富永の牛頚髄を用いた動物実験の結果を基に光弾性実験を行なってできたものであり、当時としては画期的な研究だった。

その後わが国では、この分類は広く用いられてきたが、I型の脊髄中心部の障害では、初発症状であるしびれを説明することはなかなか困難だった。また脊髄の力学的特性については、脳皮質は髄質よりも柔らかい(Holbourn 1944年)、灰白質は白質よりも疎な組織で力学的に弱い(Schneider 1954年)、血管に富む灰白質が、支持組織に富む白質に比して力学的に弱く、外力の影響を受けやすい(Wolman 1971年)、灰白質は白質に比べ分離しやすい(Ducker1971年) 等々からさまざまな類推がなされ、結果として「脊髄灰白質は、白質に比べて柔らかくて脆い」という漠然とした通年があった。

 実際には脊髄の正確な力学的特性を調べた研究がないことが判明し、脊髄の力学的特性を調べる研究を開始した。その結果「脊髄灰白質は、白質に比べて脆くはあるが硬い」ことが判明した (Ichihara2001年) 。この力学的特性を考慮した脊髄モデルを作成し有限要素法で、CSMの病態を解析すると、圧迫高位での応力は最初に後索の楔状束で高くなり、それと同時あるいは少し遅れて脊髄灰白質が高くなる。その後脊髄への応力は側索( 錐体路) で高くなり、最後に後索の薄束で高くなる。前索には最後まで応力はかかりにくいことが示された。これは、従来のCSMの進行過程に伴う病理像とも一致し、また前脊髄動脈の開存、脊髄内の血管開存( 応力緩和)、Anterior sparing などの特徴も十分に説明できるものである(Ichihara2003年) 。また初期症状である手指のしびれについては後索の楔状束に由来することで説明ができ、これは電気生理学的検査で臨床的にも裏付けることができた(Imajo 2013年)。服部の分類は、CSMの「病態」の分類としては問題ないが、「病期」の分類としては、I型を修正する必要があると思われ、今後さらに詳細なCSMの進展様式についての研究を進めていく予定である。(抄録より)


九州医事新報社ではライター(編集職)を募集しています

九州初の地下鉄駅直結タワー|Brillia Tower西新 来場予約受付中

九州医事新報社ブログ

読者アンケートにご協力ください

バングラデシュに看護学校を建てるプロジェクト

人体にも環境にも優しい天然素材で作られた枕で快適な眠りを。100%天然素材のラテックス枕NEMCA

暮らし継がれる家|三井ホーム

一般社団法人メディワーククリエイト

日本赤十字社

全国骨髄バンク推進連絡協議会

今月の1冊

編集担当者が毎月オススメの書籍を紹介していくコーナーです。

【今月の1冊, 今月の一冊】
イメージ:今月の1冊 - 88. AI vs. 教科書が読めない 子どもたち

Twitter


ページ上部へ戻る