徳育で真の医療人を育てる

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貴田神経内科・呼吸器科・内科病院 貴田 秀樹 院長

1975年 久留米大卒、同大第一病理学教室入局 1976年 同助手 1978年 同大脳疾患研究所兼任 1980年 大牟田労災病院神経内科出向、東京都精神医学総合研究所出向 1981年 久留米大学第一病理学教室講師、貴田神経内科・呼吸器科・内科病院勤務( ~2015年現在/1999年より院長) 1982年久留米大学第一病理学教室非常勤講師 1987年 同大第一内科非常勤講師

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「戦国時代の歴史を調べ、草深い古城を訪ねることが趣味で、興味の対象は栄えた大名家よりも滅びた大名家、特に、一旦滅びた大名家が再び復活した例などに関心があります。このような大名家の歴史を調べることは今日の我々の生き方への示唆にもなります」

―どんな病院ですか。

 私の父は九州医専卒業後、九州大学の解剖学教室で学位をいただいのですが、第二次大戦後、1947年に当地で一般内科を開業したのが貴田神経内科・呼吸器科・内科病院の始まりです。1981年10月、入院設備のある病院となりました。現在ベッド数82床です。開業当時は主に脳梗塞後遺症、麻痺のあるご高齢の患者さんが主でしたが、1987年ごろからパーキンソン病など神経難病の患者さんの入院が少しづつ増加し、1999~2000年に現在の病棟になった前後から、神経内科疾患の患者さんが特に増加しました。

 5年ほど前までは長期入院の方がほとんどだったのですが、最近では周辺にグループホーム、訪問看護などのケア環境が整い、神経難病であっても比較的症状の軽い患者さんにはグループホームへの入所、在宅療養をお願いしています。最近は比較的救急性のある患者さんや在宅の患者さんの救急に5床程度を確保して対応に努めておりますが、病床が回らない病院としてけっこう有名なんですよ。神経難病のラストステージの患者さんを主に診させていただいております。神経難病は診断はついても治癒できない疾患がほとんどで介護の役割が大きくなる一方、そのラストステージでは神経内科専門医受診が困難の場合が少なくありません。当院では神経難病の患者さんの介護に力を入れるとともに、公立病院や大学病院には及びませんが、数人の神経内科専門医が診察、検査に積極的に関わり、ラストステージの神経難病の患者さんの病態把握に努めております。神経内科医が診察、検査に積極的に関わることにより神経難病のラストステージの解明にいささかでも貢献できればありがたいと思っています。

―医師になった理由は。

 もともと私は文学部歴史学科に進もうと考えていましたが、―田舎の開業医の息子が医学部に進学しないと田舎では相当できの悪い息子にみられる―というただそれだけの理由で医学部に入学、そして卒業してしまいました( 当時は田舎で開業医の息子は親の後を継ぐのが当然、医者にならない息子は出来が悪いという評判が通用していました)。医学部卒業の時はさすがにいくばくかの良心も芽ばえていたようで、『自分のような者が生きている人間を診ると世間に害をなすのではなかろうか、死んだ人なら世間に迷惑をかけることもあるまい』と考えて病理に進みました(笑)。その後、脳の標本の美しさに魅せられて神経病理に進みました。当時、認知症がこんなに問題になるとは想像もできず、毎日、標本の美しさに見とれていました。その後、父の後を継がざるを得なくなり、臨床の道へ入りました。大牟田労災病院の神経内科の志田先生に神経内科の手ほどきをしていただき、開業してからは週1回久留米大学へ出かけ、現在、久留米大学名誉教授の庄司先生にご指導いただきました。『自分は間違って医者になってしまったのだから、世間に害をなしてはいけない』という思いで今日まで仕事をさせてもらってきました。

 軍医であった叔父の論文も今日の私の生き方に影響をあたえています。

 叔父が亡くなった年に私が生まれ、直接会う機会はなかったのですが、森村誠一の『悪魔の飽食』(旧満州国で関東軍731部隊が行っていたという人体実験の実態を描いたノンフィクション小説)に、上官と叔父によって書かれた凍傷の研究論文が登場します。叔父達は自らを人体実験に使って研究したらしいです。皆が窓から見守る中、叔父が防寒服を着けずに外へ出て短時間で意識消失し倒れ、それを皆で部屋に運び入れたということが叔父らの論文に記載されておりました。私にはここまで自己を犠牲にしての研究はできそうにありませんが、医学研究に対する真摯な心構えは大切に思えました。私も患者さんを診察する時、医学研究と呼べるほどではないにしても何か新しい知見を探し、その患者さんが病気と戦った姿を後世に残せるようにする義務があるとは思っています。

―病院設立理念は。

 理念は「病める人々にはやすらぎと希望を」。ほとんどの神経難病の患者さんは診断がついたとしても根治はできないと思います。患者さんは当然、完全治癒を望まれますが、ご希望にはなかなか添えないの現状です。厳しいですよね。せめて患者さんに寄り添い、患者さんの苦痛を分かち合い、患者さんの将来を一緒に考えれる病院ではありたいとは思っています。

 もう一つの理念は「働く人々には人生の糧を」。神経難病の患者さんと接することによって、患者さんに教えてもらって、職員は修練を積みより良い人生を送れるようにしたいという思いです。

―医療で大切なことは。

 自分たちが医師になった頃と比較して、医師、看護師の徳育教育が乏しくなったように思います。学問・技術の質は進歩向上していて、様々な事柄がマニュアル化され、それによって確かに患者さんに貢献できているのですが、「それ以上」のことが少し乏しくなってきているように思います。「徳育」がおざなりにされていると思うんです。医学部の教授にはマニュアル化されていない「徳育」を是非指導していただきたいと思っています。

―貴田病院のこれからは。

 神経難病が一つでも根治が来る日を期待しつつ、それなりに頑張って患者さんの役に立てる病院でありたいと思っています。


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