医療法人社団中川会 呉中通病院 院長 岡崎 慎哉
―医者になったきっかけは。
最初に大学受験したときは医学部を受けていないんです。研究者になりたくて工学部を選んだのですが、失敗したんです。この挫折を乗り越えるために、何か目標を持たないといけないと考えて、じゃあ、医学部を受けようと。親戚関係に医者が多かったので、アドバイスを受けたというのもありました。
脳神経外科を選んだのは、親戚が脳神経外科医だった影響があると思います。また、私が行った旭川医大は当時新設校で、私は3期目なんですが、そこの脳神経外科の米増祐吉教授をはじめ先生方は九州大学から来ていましてね、いい仕事をしているように見えたんです。医者を志望した経緯が経緯ですから、とにかく適当に医者になって適当にやろうというのじゃおもしろくない、やるならとことんやってやろう、と思っていました。当時、脳神経外科は花形でした。手術も長時間でしたし、挑戦し甲斐があるというので飛び込んだということですね。
恩師の米増先生には、しごかれました。今でも脳神経外科はきついと思いますが、あのころはもっとで、不眠不休の時代でした。寝る間もなく家にも帰らず、手術は10時間20時間。施設によって違うと思いますし、今は分業が進んでいると思いますが、当時、私のいたところは先発完投で、メスが入ってから縫合まで1人でやるのが原則でした。北海道からこちらに移ってからもしばらくは手術をしていましたが、そのうちメスを持つことはなくなりましたね。
―呉に移られた経緯は。
中川脳神経外科病院( 呉中通病院の前身) の院長が親戚だったので、頼まれたというのが直接のきっかけです。それまでずっといた北海道での仕事はとてもハードでしたので、家族のことも考えて少し落ち着きたいというのもありました。たまたま、脳神経外科医として自立できるぐらいになっていたというタイミングの良さもあったと思います。
―呉中通病院について。
中川脳神経外科病院と中川病院が2006年11月に統合合併し、翌年8月から呉中通病院としてスタートしました。
中川脳神経外科のほうは急性期とそれに付随したリハビリもする病院で、地域の評価も得ていましたが、小規模で運営上の効率が悪く生き残りが厳しいという状況。一方の中川病院は療養型の病院で、そちらも厳しくなっていました。そこで検討した結果、合併して地元で求められている回復期リハをしようという結論になったんです。
このエリアには呉医療センターと呉共済病院、中国労災病院の3つの大きな病院があるんです。その3病院が全部アクティブに整形外科や脳神経外科をやっていましたが、その受け皿がなく、リハも十分にできていないという状況でした。そこで、特化してやり始めたわけです。
合併当初はいろいろありましたね。急性期病院と療養型病院、サイズも文化も違う病院が合併したのですから、大変でした。退職した人も出ましたね。リハは両病院ともやっていて優秀なスタッフもいたわけですが、「回復期」というカテゴリーの経験がないのも不安でした。
それでも、大手の急性期病院との地域連携が非常にうまくいって、およそ2年で今とほぼ同じぐらいの稼働率や地域の評価を得ることができました。それだけ、回復期リハを地域が求めていたということです。
合併時分はちょうど呉二次医療圏で地域連携を図る動きがあり、各病院の垣根を超えた枠組みづくりが軌道に乗ってきた時期だったんですね。うちはそこに回復期担当として参加して、非常にうまくいったと思います。呉には患者さんに関係する病院同士が、その患者さんの情報を共有する地域連携パスもあり、うちは主に脳卒中と大腿骨頚部骨折のパスをメインに動いています。
回復期が中心ではありますが、急性期、一般の病院としての外来、再来も診ていて、専門医も揃っています。そちらも忘れてはならないと考えています。
―今後に向けて。
療法士の数が多い方とは言え、まだ足りないんですよ。そのために、理想としている質と量がまだ達成されていないんです。やりたいことも、もっとあります。
例えば、回復期リハをして自宅や施設に戻られた後、じりじり悪くなり戻ってしまうというケースが多いと聞いています。本当はここに手をつけないと完成しないんです。介護リハという方法もありますが、医療が関与した維持期のリハもあると思います。今、やっている急性期と回復期の充実の後、ゆくゆくは維持期に力を入れていきたいと思います。
呉二次医療圏には海岸側、山側、島しょ部があります。島は橋でつながっているとはいえ、やはり不便です。出向くという方法や、サテライト拠点をつくる方法、外来に来てもらう方法、いろいろアイデアはあると思いますので、足元が固まったら検討していきたいですね。
療法士の求人には、今年度から力を入れ始めました。学校回りを強化するなどしています。ウェブサイトも求人につながりますし、これを見て来院してくれる患者さんもいますから、定期的に内部でチェックしていいものにしていきたいと思っています。
―求めている人材は。
回復期というのは、けっして慢性期の落ち着いた患者さんではないんですよ。現実には急性期を引きずったような患者さんで、非常に多様な対応が必要なんです。
ですから、急変時に対応出来て、でも難しいお年寄りを相手に笑顔でいられる、そんな両面が必要で、それができる人を求めています。