人生の長さは無限ではなく、私たちは限られた時間を生きている。そしてすべての人が、どこかで最後の医療がはじまり、どこかでそれが終わる。
最後の医療の終わり=死ではなく、死ぬまでには数時間、数日間、数週間、数か月、あるいは数年の猶予がある。
人生の価値を決めるのは、医療の終わりから死までの、猶予の時間の過ごし方だと私は考える。
全体として惨めな人生であっても、医療の終わりから死ぬまでの間が光り輝けば、その人の人生は輝いていたと言えるし、成功者の側にあった人でも、最後が罵(ののし)りと悲嘆の中にあれば、憎悪と涙の人生だったことになる。まさに「終わり良ければすべてよし」、ゴールですべては決まる。その意味から命は平等だ。
だから死を目前にした人に、聞き書きや傾聴、共感、寄り添い、イベント実現への援助など、民間人によるさまざまな働きかけ(ボランティア)は、最後を輝かせてあげようとするやさしさにほかならないし、それを支援するのが、介護や看護、そしてみとり医だ。
日本尊厳死協会の活動は、死にゆく際に医療との関わりで尊厳的に対応してほしいとの欲求をかなえようとするもので、各人の人生が尊厳的だったかどうかは、当人の最期の振る舞いによる。そして、最期に光り輝くための、いちばん最後の有力な応援団であるとの見方もできる。(川本)