脳梗塞で倒れて半身麻痺となった母は、専門のリハビリを受けるために入院し、不機嫌になった。同じように脳に障害を受けた患者が、奇声を発したりうなったりし、じっと見つめてきたり、不自由な動きを強いられたりする様子を見て、ふさぎこんでいるのだった。
見舞いに行くたびにそんな話を聞かされるとこちらもつらい。そこで楽しませようと、テレビで見た落語や漫才などの話をしてみたら笑ってくれた。その中には老いをネタにしたものがあった。
◆病院の待合室でおばあちゃん同士の会話
「あんたどこが悪いの?」
「体じゅう」
「体じゅう?」
「こないだから指で頭を押えても痛い、胃を押えても痛い、足を押えても痛い。これはいよいよもうおしまいかと思って先生に診てもろうたら、指の骨、折れてました」
(桂文珍の「老婆の休日」より)
◆友人との会話
「お互い年とった。おまえも耳遠なったなあ」
「でもなあ、そのかわりトイレ近うなったで」
(桂文枝6代目の「友よ」より)
現実には深刻な状況や淋しい状況を笑いに変える。プロはたいしたものだと感心する。そうして母の話を聞いていると、プロはこれも笑いにするのだろうと気づいた。そこで母に、病院での言動をいやだと思うより、笑いのネタみたいなものだから笑ってしまえとすすめた。
すると次に見舞いに行ったとき、母は「落語だと思ってしまえば、何もかもおもしろく思えて、笑えるようになった」と喜んでいた。今までは自分の身を嘆き、他人の状況を見ては嘆いていたのに、自分の病気をさしおいて楽しんでいる。しまいには自分の病気すら笑って見せた。
リハビリのトレーニングに輪投げがあるのだが、見ていてくれという。あまりに楽しそうにやるので「見たらお金をくれっていうんじゃないの」と言ったら笑っていた。何度も見ているうちに「さあ、熊の曲芸が始まるぞ」とちゃかしたら、母はこれも笑って受けとめた。病状が良くなったわけではないが、見事に病気を克服して見せてくれたように思えた。たとえ息子の前だけ無理をしているとしても、そこに母の強さと明るさをみた。
母は笑いの視点でみることで、嘆く状況を笑う状況に変えた。お笑いを聞くと病が治るという話も聞くが、笑いの視点を持つことも自分を変えてくれるようだ。以来、自分も意識的に、ネットのYouTube やCDで落語を聞くようにしている。世を笑って見ながら、自分を強く明るくする力を養いたい。